若年性EDで苦しんだ神田伯山「悩みを抱えて孤立しないことが大事」 #性のギモン
講談師として高座に上がるだけでなく、テレビやラジオ、YouTubeでも活躍する、六代目神田伯山さん(40)。実は学生時代、若年性EDに悩まされた過去を持ち「コンプレックスで孤立していた」と語る。大学生になって専門医の診断を受け、現在はEDを克服している伯山さんに、若年性EDで悩んでいた当時の苦労や受診に至ったきっかけ、性に関する悩みを持つ人に伝えたいことを聞いた。(聞き手:荻上チキ/TBSラジオ/Yahoo!ニュース Voice)
「大きなコンプレックス」を抱えて孤立していた学生時代
――伯山さんは「若年性EDだった」とメディアでお話しされていますが、はじめて若年性EDだと分かったのはいつごろだったのでしょうか。 神田伯山: 具体的にはちょっと覚えてないのですが、だいたい中学生の頃だったと思いますね。それから大学生くらいまで若年性EDを患っていました。 中高生になると、女性と付き合う、彼女をつくるということもありますよね。男女の仲だけでなく、同性であっても、年頃であれば、そういう話題で盛り上がることもあります。だから、コンプレックスじゃないですけど、EDを抱えて生きていくのは結構大変でした。大人になれば、それだけじゃないって分かるんですけどね。 このような問題は、親にもちょっと相談しづらい。私の場合は、小学校の時、すでに父親が亡くなっていました。異性である母親には、より相談しづらかった。冷静に考えたら医者に行けば良い。その一択なんですけど、医者に行って、はっきりと答えを知ってしまうのも、なんだか怖い。たとえEDであってもとりあえず生きている。翌日も普通に活動はできるし、生死に関わる問題ではありませんしね。 ただ、問題となってくるのは“孤立”だと思います。例えば、若年性EDを扱っているメディアはあまりないですよね。私がEDで悩んでいた25年前は、ネットにもあまり情報がありませんでした。そうすると、こんな病気になっているのは自分だけじゃないか、と感じてしまう。今であればネットでつながって、いろいろ情報を得る機会があるのですが、やっぱり、当時は孤立していたと思います。 ――そういった苦労に対してどのように向き合おうと思っていたのですか。 神田伯山: 同級生のみんながグラビアとか見て「素敵な女性だ」と興奮してるのを見て、「僕はそっちに行けないんだ」「同級生が楽しむ“普通”を楽しめないんだ」と感じていました。どうしたら良いだろうと思った結果、普通ではない講談や落語の道を選んだんでしょうね。逆にEDでなければ講談や落語の道に行ってなかったかもしれません。もしかしたらロックな音楽とか聞いていたかもしれない。でも、ロックを聞いていても「EDだからなぁ」って思ってしまって、なんだか聞きづらく感じてしまう。ロックとEDは相性悪そうなので。そうなると、自分の好きな女性を追っかけるのではなく、どんどんどんどん、講談師とか落語家のおじいさんばかり追っかけるようになった、みたいな(笑)。 なんで講談師になったんですかって言われる時、父親の死を理由にすることもあるのですが、実は若年性EDも理由の一つなんです。EDがあったことで、どんどん横道にそれていった。普通の道は行けないなって感じてたんだと思います。そうやって悩んでる時間、コンプレックスが講談とか落語をやるバネになったんでしょう。そう考えると、まんざら悪いことばかりではなかったですね。 しかしテレビなどで「なぜ講談師に?」の質問にEDのくだりを喋っても絶対カットされますね。人間って多面的なんですけど。お父様の死が~とかの方が分かりやすいんでしょうね。でもこちらは分かりやすい人生を歩んでいないわけなんで難しいところです。 ――大学生の時、はじめて病院に行ったそうですね。 神田伯山: はい。なにかきっかけがあったわけではなく、なんとなく、ふっと思い立って、そろそろケリをつけようじゃないかと。大学生にもなると、さすがにネットで情報を手に入れることができまして、ED専門の医者を見つけることができた。 行ってみると、待合室に僕みたいな若いヤツがいないんですよね。お薬を処方されて治そうとしている年配の方ばかり。場違い感がすごかったです。でも、お医者さんは普通に扱ってくれた。だから、本当に行って良かったなって。 ――実際に診察を受けてみてどうでしたか? 神田伯山: 僕のEDは精神的なものだったのかなと思います。孤立して、悪化していって、さらに孤立を深めてしまう。そんな悪循環に陥っていました。そんな状態の中、お医者さんに診てもらって「全然大丈夫です。若いですし、投薬も必要ない」と言ってもらえたのは心強かったです。1人ではなく、仲間がいて、アドバイスをくれる人がいることで、かなり気が楽になりました。 今思い返してみると、ただ早く医者に行けば良かったっていう話です。数年間、思いとどまらせていたのは、僕が情報のアンテナを張ってなかっただけかもしれない。でも、メディアでもあんまり触れてくれてなかったということもあったのかもしれないですね。 ――悩んでいた当時を振り返ってみて、いま思うことはありますか。 神田伯山: 交際人数ゼロで、童貞でもいい。そういう人生も別にいいんですけど、それを主張しすぎるのも健全じゃないし、女性と交際するきっかけがあればすればいい。改めて冷静に考えると、そこにこだわる必要はなかったと思います。 僕の場合、EDなのだから女性とは交際できない、と殻に閉じこもっていました。今の僕であれば、それならED治そうよ。あるいは、治さなくても別に女性と交際できるよと、思えます。ただ、子どもの時はそういう情報が入ってこなかった。だから、今にしてみれば当たり前の考えができなかったのでしょうね。