古舘伊知郎、報ステには「土下座したいほどの悔い」――“自主規制の鬼”と戦った12年
SNSでは注目される事件や疑惑がテレビでは取り上げられないなど、報道のあり方が問われることが増えている。その背景には「テレビ局による自主規制があるのでは」とフリーアナウンサーの古舘伊知郎さんは話す。2004年から12年間キャスターを務めた「報道ステーション」(テレビ朝日)では「“自主規制の鬼”と戦っていた」と語る古舘さんに、当時を振り返って今思うことや、これからのテレビ報道に期待することを聞いた。(聞き手:荻上チキ/TBSラジオ/Yahoo!ニュース Voice)
もう俺は死んでるんじゃないか――12年間の「報道ステーション」キャスターを終えて
――古舘さんは「報道ステーション」のキャスターを長く担当されました。当時を振り返ってみて思うことはありますか? 古舘伊知郎: 今思うと土下座したくなるほど、悔いが残っていますね。12年もやっていると自分の悪さがやっぱり出てしまう。一方で、自分の中にあった“自主規制の鬼”との戦いだったなとも思いますね。 キャスターになるまでは、フェイクやファンタジーを部分的に織り交ぜてプロレスやF1を実況していました。例えば「音速の貴公子、アイルトン・セナ」とか。貴公子然としたセナにどんな形容が合うか。そうだ、音速という言葉がぴったりだ。しかし、F1の速度は音速に遥かに及びません。でも、時速250キロの貴公子では面白くない。極端な嘘だから、聞いている人はわかってくれる。セナがすごいんだから、ファンタジーなかさ上げは構わない。むしろその方がいいと思い、言葉を選んでつないでいました。 しかし、報道番組のキャスターとなってからは、一気に自らを縛りました。人が悲しんだり怒ったり、時には生き死にがかかった内容を扱う場面で、ファンタジーで味付けした表現なんてできるわけがありません。49歳でキャスターを始めたので、調子に乗って悦に入って言葉を発すると大変なことになるということもわかっています。自分の得意技だと思っていた部分を、一旦無能力化したのです。常に「言葉は凶器だ」と自分に言い聞かせていたので、初めは苦しかったですね。 そうやっていくうちに自分の中に制約が増えていきました。それで今度は「言っちゃいけないんだっけお化け」が出てくるわけです。放送には放送コードというものがあります。それに加えて、番組のプロデューサー、ディレクター、スタッフの考え、いろんなことが入り交じって、自主規制ができあがっています。しかも報道番組は生放送。下手なことを言ったら、もう取り返しがつかない。特定の何かが喜んでも、怒っても、利益を得てもいけない。そういう脇の締め方をして、己の中の“自主規制の鬼”と戦っていました。 毎日のようにプロデューサーや事務所の社長と「仕事における似合う色と好きな色って違うよね」と話していましたね。叱咤激励を受けることもありました。でも、やっぱりキャスターという仕事が自分には合わないと思って、2016年3月で「報道ステーション」をやめたのです。 12年間、ずっと摩耗していました。だから「もしかしたら俺は報道ステーションが終わった時に死んでるんじゃないか」「今も死んでいることに気づいてないだけじゃないか」って思ったりもします。 ――今、68歳になられて、世代ギャップを感じることはありますか? 古舘伊知郎: もちろんありますよ。例えば、僕は携帯電話がスマホになったと思っているんですけど、若い人にとっては、電話の機能ってスマホのおまけという感覚ですよね。 若い番組ディレクターと打ち合わせしていた時、ディレクターのスマホに僕もよく知っている部長から電話がかかってきました。ディレクターが「古舘さん、電話がかかってきましたよ」って、面白いことのように、スマホに表示された部長の名前を見せてきたんです。電話がかかってくることの何が珍しいのか、面白いのか、僕にはさっぱりわからないんですよ。電話が終わってから「さっきのなんだったんですか?」って聞いたら「スマホなのに電話かけてくるんですよ」って言うんです。LINEだ、メールだ、ショートメッセージだっていろんな手段があるのに、ちょっとした確認を電話でするという行為が、彼にとっては時代遅れに映ったのでしょう。 会話で使われる言葉にも違和感を覚えることが増えましたね。先日も居酒屋で、近くに若いカップルが仲良さそうに座っていました。二人の席に、大皿にのった焼いたブリカマが置かれました。金のシャチホコみたいに身が反って、大きなものでした。その瞬間、「わーっ、子犬ぐらい大きい」と女性が言いました。魚のブリカマを子犬というサイズ感で表していたんです。すごいなと思いました。サイズを表すには的確だけど、子犬にもブリカマにも、慈しみが感じられない。その言葉の感覚が不思議でしたね。