<平安ファッション>男性が青、女性は赤の服を着ることが禁じられていた深い理由とは?位によって厳密な「禁色ルール」が貴族達の出世欲を掻き立てた
◆平安貴族が心得なければならない「禁色(きんじき)」というルール これには2種類あり、一つは天皇の赦(ゆる)しがなければ着てはいけないもの、もう一つは自分の位よりも上の色や材質を着てはいけないというものであった(代わりに下位の当色の着用は自由であった)。 これは、奈良時代の衣服令を供しているが、四位以上の位色が黒になってからは特権階級を助長させるものではなくなったようだが、前者は、平安朝で特権意識を著しくさせる原因となった。 禁色とは元々、平安時代の服制による赤・青・黄丹(おうに)・支子(くちなし)・深紫(こきむらさき)・深緋(こきひ)・深蘇芳(ふかきすおう)7色および有文の織物をいうものである。 青は天皇、赤は上皇、黄丹は皇太子、深紫は一位(皇族)の袍の色とされていて、他の3色はそれらの類似色であるため、また、霰地(あられじ)に「か」の紋のある表袴の着用が禁じられた。 赤色とは赤白橡(あかしろつるばみ)のことで少し茶色を帯びた赤色である。上皇とともに天皇が内宴時等で着用したもので、この赤白橡は内宴に同席する公卿の第一のものだけに着用が許された。 青色とは青白橡(別名:麹塵/きくじん)のことで、青みを帯びた黄緑色である。青といっても現代人が想像する色とはかけ離れている。 この青色は天皇が賭弓(のりゆみ/1月に行われる年中行事の一つ)や野行幸(のぎょうこう)時に着用したが、親王以下公卿と殿上人(こんじょうびと)も同じ青色を身につけた。
◆上級男性貴族の装束は華やかで上質だったと思われる… また六位でも殿上人となった蔵人は無文(むもん)に限定されるが青色の着用を許された。こうして特定の官人に上位の衣服を天皇の許可することを「禁色勅許」といった。ただし、勅許は天皇一代限りのもので代替わりの際に無効となる。 また、蔵人以外への禁色勅許は原則として大臣・近衛大将の子か孫に与えられる特権で、この特権を与えられた殿上人を「禁色人」と称した。 やがて、この禁色勅許の対象者は摂関家それに次ぐ、清華家(せいがけ)に相当する家の出身者に限定され、摂関家嫡流の者には元服時か直後に禁色が許される慣例となったようだ。 そして、天皇のみが許される「黄櫨染(こうろぜん)」、皇太子の「黄丹(おうに)」は「絶対禁色」となった。 男性官人が許されたのは、公卿と同様の文様のある綾や色を下襲(したがさね)や半臂(はんぴ)、表袴に使用することだが、直衣(のうし)や指貫、青色袍(あおいろのほう)にも使用されていた。 許可されていない四位以下の官人(参議除く)は無文の平絹であった。 このように平安時代は、男性も上流階級になれば色だけでなく、より光沢のある絹の綾の生地に地紋が浮き出て、上級男性貴族の装束はさぞ華やかであったに違いない。 ※本稿は『イラストでみる 平安ファッションの世界』(有隣堂)の一部を再編集したものです。
高島克子
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