パラリンピックの魅力で社会変革:パリ大会選手団長・田口亜希さん 東京からパリへ障がい者の思い
松本 創一
28日に開幕するパリ・パラリンピック。日本代表選手団の団長を務めるのは、ライフル射撃でアテネ、北京、ロンドンと3大会連続でパラリンピックに出場した田口亜希さんだ。東京から引き継がれる大会を前に「無限の可能性を体現するアスリートの魅力を通して、社会変革を生み出していきたい」と語る。
目標はメダル52個超
─パリ大会は、海外開催の夏季大会としては史上最多の選手数となる見通しですね。目標を教えてください。 目標は夏季大会で最多記録のアテネのメダル52個を上回る成績です。日本選手団のスローガンは「挑め、自分史上最強。」。選手それぞれの思いをこの言葉に込め、持っている力を最大限に発揮しよう、という意味を込めています。メダルを目指す選手の気持ちを喚起しつつ、成績だけでない選手の振る舞いなどを含めて意識を高める言葉にしていきたいと思っています。
─選考会などを積極的に視察してきました。強化の成果は。 ベテラン勢はもちろん、若手や女子の選手も増え、競技力は向上しています。 東京大会の前からジャパン・ライジングスター(J-STAR)を実施しています。日本パラスポーツ協会が日本スポーツ振興センターから委託を受けた事業で、基礎測定やトレーニングを通し有望選手を発掘してきました。パリ大会では、 J-STARを経た水泳の木下あいら選手やボッチャの一戸彩音選手など8人が代表入りしています。
障がい者は身体的な特徴などと競技の特性が合っているかどうかの判断が難しいので、才能発掘は効果があります。私は25歳で車いすユーザーになるまでスポーツ経験が無く、たまたまライフル射撃の競技が適合しました。ただ、やりたい競技が身体的特徴と合致しているとは限らないので、マッチングは強化に重要です。 異なる競技の練習を取り入れるクロストレーニングも実施し、適性を見極めたり、効果的な練習方法を考え出したりしています。
五輪とパラ、共に進む取り組み
─東京大会を経て、日本のパラスポーツの環境は変化したのだろうか。 日本の環境という観点では、2013年に東京大会の開催が決まり、関係官庁が厚生労働省から文部科学省傘下のスポーツ庁に移りました。そして19年には東京都北区の「ナショナルトレーニングセンター(NTC)」に五輪と共用の「屋内トレーニングセンター・イースト」が完成しました。 段差がないバリアフリーの設計が特徴で、車いすラグビーやボッチャなど、パラ競技の選手が優先的に使える共用コートも備えています。 パラリンピック経験者や選手を雇用する企業も増え、東京大会を見た障がい者が何人も「競技に挑戦したい」と手を挙げました。東京大会があったからこその変化です。