パラリンピックの魅力で社会変革:パリ大会選手団長・田口亜希さん 東京からパリへ障がい者の思い
東京五輪・パラリンピックの準備段階で、組織委員会のアスリート委員会にはオリンピアンとパラリンピアン複数名が参加しました。パラアスリートから、選手村や会場は五輪終了後にパラリンピック用にスロープをつけたりするのではなく、初めからパラリンピアンが使えるように設計し、大会後もユニバーサルな施設にしてほしいと提案したところ、オリンピアンもパラリンピアンに合わせて作れば誰もが使えると後押ししてくれ、それが採用されました。
東京大会の招致活動でも関係者が自主的に協力した例がありました。2016年大会を招致していた09年のころ、五輪は文科省、パラリンピックは厚労省が管轄し、選手同士もコミュニケーションは少なかったのです。最終プレゼンでリオに敗北した後、現スポーツ庁長官の室伏広治さんらオリンピアンの方々が、私たちに「今は一つの団体として活動することはできない。でもアスリート同士はいろんな活動を一緒にできる。一緒に盛り上げていこう」と声を掛けてくれました。 その後は、日本オリンピック委員会(JOC)のアスリート委員会などにもパラリンピアンが参加できるようになり、オリ・パラの一体感が創出され、東京大会の招致成功につながったと思います。招致活動も4年間で大きく変わりました。
─東京大会は、パラリンピックと五輪の垣根が取り払われていくという変化があった、と受け止めて良いでしょうか。 東京大会に向けた行動一つ一つから、インクルーシブな環境が生まれていきました。 今、障がい者の課題解決に関するさまざまな協議の場に、障がい者団体の方などが入るのが普通になっています。従来のように健常者が自分たちの目線で「障がいのある人たちにこういう施設は必要だ」などとおもんぱかってくれるのはうれしいのですが、私たちは当事者の意見を聞かなければ、結果が無駄になってしまうかもしれないと感じます。障がい者と健常者が別々に話し合うのではなく、一緒になってプランをまとめていくことは意義のあることなのです。