川崎フロンターレの中村憲剛が貫いた引退の美学…40歳バースデー弾の翌日に電撃引退を発表した理由とは?
「子どもたちはリアクションがわかっていたし、直接話せる自信がなかったので手紙を書いて渡して、一番下の子が寝ていたなかで小6の長男と小4の長女には話をしました。すごく寂しがっていましたけど、日々、受け入れようとしてくれています。チームメイトたちも『えっ、いまじゃないでしょう?』と。リアクションが温かくも重たかったので、僕も少し体調を崩しかけましたけど、勇気を出して思いをしっかり伝えて、彼らも受け入れてくれてよかったです」 中堅や若手、チームスタッフには1日の練習後に開催されたミーティングで伝えた。そして1日未明に登壇者が伏せられる形でクラブの公式ウェブサイト上で告知され、さまざまな憶測を呼んでいた緊急会見に臨んだ。憲剛が望む日時に公表していいとクラブ側から言われていたなかで、FC東京戦を前にして、意識して1日に設定していた。理由を憲剛はこう語っている。 「スタメンで出られた名古屋戦でチームに貢献できたところで、ようやく選手として話ができる状態になったかな、と。40歳を迎えた次の日、ということを含めて、今日に決めました」 緊急会見の聞き手を務めたフロンターレのOBで、特命大使を務めている中西哲生氏に対して、鬼木監督は「引退を食い止めてほしい」と話していたという。指揮官の言葉を伝えられ、さらに中西氏からは「引退に悔いはないですか」と問われた憲剛は「正直、オニさん(鬼木監督)のコメントが僕にとっては一番の賛辞です」とこんな言葉を紡いでいる。 「この年齢でそれだけ求められる選手のまま引退したい、という思いがあったので。リハビリの間に始まった今シーズンで、後輩たちが成長したフロンターレは素晴らしい成績を残していた。逆に僕にとってはハードルが上がって、普通にリハビリをして練習するだけでは戻れない集団になっていた。リミットがある僕にとってプロ人生で一番ハードルが高い時期でしたけど、それを乗り越えて試合に出られたときは、いままでの自分のなかで一番の感覚を出せていたと思う」 惜しまれながらスパイクを脱ぐ。ベテランの域に入った選手たちが十人十色の思いを抱くなかで、30歳になったときから憲剛が追い求めてきた引き際の美学と言っていい。思いが究極のレベルまで高まったからこそ、すでに会見が設定されている状況で迎えたFC東京戦で、まだまだ第一線でプレーできると周囲に思わせる圧巻のパフォーマンスを披露。フロンターレを12連勝に導いた。 「自分が引退するという強い気持ちがあったからこそ、ここまでの5年間は特にいろいろなことが引き寄せられたと思う。等々力には神様がいると僕は思っていますけど、本当に考えられないというか、誰かが操作しているのでは、というぐらいの出来事が多すぎて、自分でもびっくりしています」