川崎フロンターレの中村憲剛が貫いた引退の美学…40歳バースデー弾の翌日に電撃引退を発表した理由とは?
J1リーグとヤマザキナビスコカップ時代を含めたYBCルヴァンカップで3度ずつ、天皇杯全日本サッカー選手権で1度と、憲剛の加入以降で実に7度の2位を経験。シルバーコレクターと揶揄されたフロンターレの歴史が、40歳での引退を決めた2015シーズンを境に急変した。 2016シーズンにMVPに輝き、2017シーズンからはJ1を連覇。昨シーズンにはルヴァンカップも制し、憲剛をして「個人も含めて、それまでの苦労が嘘のようにタイトルが手に入り、40歳で終わるという終着点が自分のなかで見えてきた」と言わしめた軌跡は急停止を強いられる。 39歳での初陣となった11月2日のサンフレッチェ広島とのリーグ戦。敵陣でボールを奪おうとして相手選手と激しく接触し、左ひざの前十字じん帯を断裂する全治約7ヵ月の大けがを負った憲剛は、当初は手術および長いリハビリの先に待つ戦列復帰をなかなか見通せなかった。 「前十字じん帯を断裂することはそれだけ難しいので。ただ、終わりが決まっていたなかで、戻るだけじゃなくて、戻った後にチームの勝利に貢献できるところまで何としても頑張ろう、と。中村憲剛、やるじゃんと思ってもらえるような形まで戻すことが、逆にモチベーションになりました」 戦列へ復帰したのは8月29日。清水エスパルス戦の後半32分から等々力陸上競技場のピッチに立ち、8分後には痛めていた左足でゴールまで決めた。その後も鬼木達監督と話し合いながら徐々にプレー時間を伸ばし、リーグ戦で唯一黒星をつけられている、先月18日の名古屋グランパス戦ではセットプレーから2アシストをマーク。リベンジを果たす原動力になった。 そして、この一戦で演じたパフォーマンスこそが憲剛が求めていたものだった。完全復活への手応えを得た憲剛は加奈子さん以外に初めて、今シーズン限りでの引退を告げることを決意する。 まずはオフだった同26日に3人の子どもたちへ、翌27日には鬼木監督、小林悠や家長昭博、登里享平、大島僚太、安藤駿介、チョン・ソンリョン、そしてキャプテンの谷口彰悟と長く一緒にプレーする選手や年長者とそれぞれ1対1の場を設けて、5年前から抱いてきた決意を伝えた。