「芸能事務所の移転、とは考えてないんですよ」ーー創業45年のアミューズ会長、山梨の新本社に込めた願い
サザンオールスターズをはじめ日本のトップアーティストたちを抱えるアミューズ。本社を富士山麓へ移転して話題を呼んだ同社の生みの親が、会長を務める大里洋吉(76)その人だ。SNS、サブスク、韓流。さらにタレントの独立ニュースが目立つ現在、日本の芸能・音楽シーンは目まぐるしい変革期を迎えている。大自然の新天地で、アミューズは何を目指すのか。山梨県・西湖に創られたアミューズ本社へ向かい、大里会長に話を聞いた。(取材・文:山野井春絵/撮影:殿村誠士/Yahoo!ニュース オリジナル特集編集部)
移転構想は、コロナ禍が始まる前から
富士五湖の一つ西湖へ、東京から本社を移転して1年。湖畔近くに創設された「アミューズ ヴィレッジ」は、屋外・屋内にさまざまな施設を備え、まるでグランピングリゾートのような趣だ。 秋晴れの下、開放的な芝生広場に立ったアミューズの大里洋吉会長は、深呼吸をするように胸を張った。 「どうですか。空気がいいでしょう。初めてこの場所を訪れた時もね、このドーンとした庭から、後ろの山々が見えて、向こうには湖があって。ああ、ここだ、ってピンと来たんですよ」 移転構想は、コロナ禍が始まる前から練られていた。 「趣味でヨットに乗るんですが、その縁で、福武總一郎さん(ベネッセホールディングス名誉顧問)にお会いしました。彼に直島の地中美術館を見せてもらったことで、人生観が変わりました。安藤忠雄さんが設計したその美術館は、本当に素晴らしかった。その時、福武さんは『経済は文化の僕である』とおっしゃったんです。目からうろこでした。経済がすべてだと思って生きてきた僕たちが間違っていたんだ、と。文化が高ければ、経済の質も良くなるという真逆の発想は、ショッキングでした」 大里は、香川県の豊島にアミューズの研修所を作った。そこへ本社を移転することも考えていたという。 「視点が変わると、アイデアも浮かびます。必ずしも東京に本社がなくてもいい時代が来ると思っていました。ただ現実的に、豊島はちょっと遠くて、交通費がかかる。どこがいいかな、と考えている間に、コロナが蔓延しはじめて……」 「コロナによっていろんな価値観が変わっていくなかで、うちのアーティスト、特にミュージシャンたちにとっては、野外コンサートの機会を増やした方がいいだろうと。東京から、1、2時間で行ける場所に、アミューズの音楽フェスティバルができる、ホームグラウンドのような場所があったらいいんじゃないかと考えて、1年くらいうろうろ探していたんですよ。そこでたまたま巡り合ったのが、この場所です」 それは、地元のHAMAYOUリゾートが運営するホテルだった。コロナ禍で利用客が激減し、敷地内にあるいくつかの施設は、ほぼ閉鎖状態。このロケーションに強く惹かれた大里は、長期での賃貸契約を申し出る。 「地元にはその土地の歴史、流儀、人間関係があります。まずは地元の方からお借りしたものを大事にしながら、しっかりと人間関係を作っていくことが大事だと考えました。タイミングと運がよかったんですよね」 コロナ禍で首都圏から地方へ本社を移転した企業が増え、「転出超過」も話題となったが、“芸能の中心=東京”という根強いイメージがあるなかで、アミューズの本社移転ニュースはセンセーショナルだった。 「芸能事務所の移転、とは考えてないんですよ。これからアミューズグループは何をやるべきか、ということの方が先。これからみんな、どう生きていけばいいんだろうという思いの方が大きかった。幸いなことに、長年に渡ってエンターテインメントを続けてきた蓄えの一部を使って、次世代に橋渡しができるような、何か考え方みたいなものを、きちんと表明した方がいいだろうという……というと、なかなかすごいでしょ? いや、適当なこと言ってるだけだからね(笑)」 時おり茶化して、場を和ませる。大里は、悪戯好きな少年がそのまま大人になったような笑顔で、広場の大きなツリーハウスのアスレチック遊具を指差した。 「ああいうものを作ったのも、子どもたちに思い切り遊んでもらいたいから。東京って、公園があっても、ボール遊びがダメとか、コロナで遊具も使えないとかあったじゃないですか。親子で転げ回って遊ぶような環境がやっぱり少ないし、多少のケガはものともせずに、元気で遊ぶ子どもの姿が見たいと思った。子どもも大人も、自然からいろんなことを学んで、精神的にも豊かになってくれたらいいな、と」