「芸能事務所の移転、とは考えてないんですよ」ーー創業45年のアミューズ会長、山梨の新本社に込めた願い
ちょっと浮かれていたな……と反省もあるんです
青森市の中心部で生まれ育った大里は、幼い頃から映画と音楽に耽溺した。今の仕事の礎は、すべて子ども時代の体験にあると語る。 「東北でも都会っ子のような暮らしでしたけど、市街から出ればすぐに野山が広がっていた。港で泳いだり、おやつがわりに、畑でもぎたてのトマトを食べたものです。中学生の夏には毎年、仲良し3人組で十和田湖へキャンプに行きました。おふくろの手作りのキャンプ道具を持って、酸ヶ湯温泉の混浴でドキドキしたり、山の中でヘビを捕まえて焼いて食べてみたり。ヘビなんて食べたくなかった、だけど、わざと野蛮なふりをして(笑)。度胸も技術もなかったけれど、あの時の思い出は忘れられません」 10年以上前から、少しずつ東京一局の価値観に、違和感を覚えるようになったと大里は言う。 「振り返ってみると、やっぱり日本経済が上向きだった頃というのは、僕自身も東京でおもしろおかしく仕事をしてきたけど、ちょっと浮かれていたな……と反省もあるんです。経済って、恐ろしいものだと。考え方も、生き方もどんどん変わってしまう。経済に振り回されている今の生き方って、正しいのかな、そんなふうに思うようになりました」 標高約900mの西湖は、冬になると雪に包まれる。 この富士山麓を選んだのも、季節の変化がはっきりと感じてほしいという思いからだ。 雪国育ちの大里は、毎年 “春の訪れ”を心待ちにしていたという。 「僕の故郷では、降り重なった根雪を崩し、トラックで運んで港から海に捨てる“雪切り”という除雪作業が、春休み前後に行われていました。行政の呼びかけで、みんな一斉に、一日、二日でやったものです。そうすると、どろんこの地面が出てくる。ぬかるんだ道を長靴で歩きながら、春を感じました。短い夏に向かうワクワクした気持ち。こういう自然から与えられる喜びは、東京ではなかなか味わえないでしょう。だからここでも、もう少し態勢を整えたら、畑を作って、子どもたちに農業体験をしてもらって、BBQをしたりライスカレーを作ったり、そんな経験をさせてあげたいんですよね。自然に触れながら若い命を育てるって大事だなと、僕は心から思っているんです」