「僕自身は空っぽの容れ物」――世の中の空気を歌に込め続ける桑田佳祐の今
「歌は空っぽの自分がバランスを取るためのアイデンティティー」。昭和、平成、そして令和と、桑田佳祐は40年以上にわたって自作のポップスを音楽シーンの第一線で歌ってきた。サザンオールスターズの一員としてデビューしたのは、1978年。当時とは世間も様変わりした。時代とともにヒット曲を世に送り出し、世相もエロもナンセンスも描いてきた桑田は今、世の中をどう見つめ、歌にしているのだろうか。(取材・文:内田正樹/撮影:倭田宏樹/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
「これ大丈夫かなお化け」が出る
「僕自身は空っぽな容れ物みたいなものでね。空気とか情報とか、市井に浮遊しているものをキャッチしては、自分という空っぽの容れ物にポンポンと詰め込んで、それをシャッフルしたり、色付けしたりして吐き出してきた。『世の中を呼吸』しながら作品を紡いできたという感じ。そこに多少のエゴや性格もあぶり出されているのだろうけど、僕自身にあまり強い自我のような感覚はないんですよ」 気付けば「コンプライアンス」という言葉が普及していた。時には過激な表現で世相やエロやナンセンスを描いてきた桑田も、近年はしばしば「歌詞の行方」を時代と照らし合わせるという。
「制作中には『これ大丈夫かなお化け』がよく出ます(笑)。『この言い回し、大丈夫かな?』と、僕からレコード会社やマネジメントの若いスタッフに尋ねるんです。昔はセクハラやパワハラという概念すらなかった。映画やバラエティー番組にもエロの要素が散りばめられていた頃は、サザンで『女呼んでブギ』や『マンピーのG★SPOT』も書いていましたけど、今の基準と照らし合わせたらアウトと言われちゃうかもしれないからね(笑)」 「コンプライアンスという概念のおかげで、泣き寝入りをせず、救われた人たちもいっぱいいると思う。でも一方で、表現に対する視線もきつくなった。視野が狭くなったというか、よく言われる『寛容でない』意見も増えた気がします。ありがたいことに、僕もその『洗礼』は受けました」 過去には、歌詞に対する曲解やデマをネット上で拡散されてしまった経験もある。