「ひと昔前だったらお仕事をもらえてなかっただろうなと思います」――バラエティーで引く手あまたの朝日奈央が辿り着いた答え
バラエティーで活躍の場を増やし続ける朝日奈央はアイドルグループ出身。グループの解散を経て、バラエティーを主戦場に移したが、多くのタレントがしのぎを削るなか、現在の人気を確立した。共演者やスタッフから広く愛される彼女が、仕事のない時期も大事にしてきたこととは。そして、何を見据えているのか。(文:キンマサタカ/撮影:柴田フミコ/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
テレビをつければその姿がある。電車やタクシーに乗れば、彼女の登場するCMが流れ続ける。決してド派手ではないが、いつもそこにいる。気がつけば若きバラエティークイーンとまで呼ばれるようになった。 「そんな呼び名、恐れ多いです。たまたま番組に呼んでいただけているだけで、私なんてまだまだですから」 そう謙遜するのは朝日奈央。13歳で芸能界入りし、人気雑誌のモデル、アイドルグループを経て、現在はバラエティータレントとして活躍。こう書き連ねるとまるで順風満帆な芸能人生活を送ってきたかに見えるが、決してそうではない。憧れの世界に飛び込んでから彼女がお茶の間の人気者になるまで長い時間がかかった。 1994年生まれ。都心から少し離れた郊外で生まれ育った朝日は、小さい頃からやんちゃで積極的な性格だった。小2の頃には、わんぱく相撲に志願して出場し優勝。幼い頃から愛読していた雑誌のモデルに自ら応募したのが12歳の頃。昔から行動力はあったらしい。 「本当に大好きな雑誌だったんです。毎月発売日になるとお小遣いをにぎりしめて本屋さんに走って、擦り切れるまで繰り返し読みました。でも、ファンレターは送りませんでした。彼女たちとそのうち一緒にお仕事するかもしれないと思っていたんですよ。ファンレターを送ったことがバレたら恥ずかしいと思って(笑)」 雑誌『ラブベリー』は当時ティーンから広い支持を集める人気の雑誌だった。一般応募からモデルに受かる可能性は普通に考えればかなり低いだろう。だが、朝日は受かると信じていた。常に自分がその雑誌の中にいるイメージを膨らませていたという。 そして見事合格。憧れの雑誌の一員になった途端、ファンレターが手元に送られてくることに驚いた。つい最近まで何者でもない女子中学生だった自分なんかに自筆の手紙を送ってくれることがうれしくもあり、なんだか申し訳ないような気にもなったと振り返る。