心が渇いた時にはいつも音楽が薬になった――サザンオールスターズ・原 由子が、桑田佳祐とともに歩んだ音楽人生
デビューから44年を経たサザンオールスターズ。原 由子は、サザンのキーボード・ボーカル担当として、ソロとして、さまざまな音楽を届けてきた。公私ともに桑田佳祐と歩み、「100%、桑田の音楽を信頼している」と話す。長い道のりにおいては、引退してもいいと思ったこともあれば、子育てで楽器から離れた時期もあるという。原が伝えていきたい、音楽の楽しさとは。(取材・文:内田正樹/撮影:倭田宏樹/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部/文中敬称略)
「サザンの羅針盤であり灯台」
桑田家の日常を尋ねると、原 由子は明るい笑顔で「普通の老夫婦ですよ」と答える。 「朝起きたら『お茶かコーヒー、どっちにする?』から始まって。日本茶ならば梅干しも出して、朝ごはんを一緒に食べて。桑田も私もよく散歩をするんですが、全く気付かれなくて。知らない方からよく道を聞かれますね(笑)」 「原坊とはサザンの羅針盤であり灯台なんです。多分ですが」。原のインタビューの数日前、桑田に彼女についての話を聞いていた。 「彼女がいるほうを振り返ると『ちょっと道が外れたかな』とか『もっと面白いほうに向かおうかな』と確認できる。家の中でも気付けば中心に彼女がいます。女房でもあり、ちょっと恥ずかしいけど、いまだに子どもみたいな僕の母親役でもいてくれてね。音楽でもプライベートでも、僕のバッキング(伴奏)を務めてくれているというか。彼女がいなかったらサザンはここまで続かなかったかもしれない」 原は近年のサザンをこう振り返る。 「みんな年を重ね、桑田もメンバーも体の不調に見舞われたけど、それを乗り越えて(活動休止を経て)35周年で再集結した時の喜びは大きかったですね。音楽をやれる幸せをより強くかみしめるようになりました」
音楽が友達だった少女時代
原は神奈川県横浜市出身。1872年(明治5年)から続く天ぷら料理屋の長女に生まれた。「明るく快活だった」という幼少期、テレビを通じて歌謡曲や童謡に親しむと、4歳上の兄の影響で海外のポップスに目覚めた。 「小学生の時、ビートルズの『She Loves You』や『Please Please Me』を聴いて衝撃を受けました。当時、『シビれる』という言葉が流行っていたんですが、まさにそんな状態に(笑)。毎日彼らのレコードを聴いては踊りまくっていました」 だが、自分で歌うことには関心が薄かった。理由は「声」。 「よくある話ですけど、父が買ってきたレコーダーで録った自分の歌を聴いたらショックを受けちゃって。『こんな声じゃないはずなのにー!』って(笑)」 しかし陽気だった性格がある時期を境に一変する。 「小学生の頃、小児リウマチでしばらく歩けなかった時期があって。肥満になって男子からからかわれるうちに、内気で引っ込み思案になってしまって」 この頃に出会ったロックが、サザンにおけるタッチの強いピアノの原点となる。 「テレビで観たローリング・ストーンズの『We Love You』や『She's a Rainbow』のピアノを真似して弾いていました。今思えばニッキー・ホプキンス(※当時のサポートメンバー)のピアノから影響を受けていましたね。あとはポール・マッカートニーの『Let It Be』(ビートルズ)のピアノとか。友達が少なかった頃は洋楽とポップ・ミュージックが友達。ストレス発散じゃないけれど、感情をむき出しにして楽器に向かっていました」