74歳伊藤千桃さん、葉山でのにぎやかな暮らし「幼少期のアルバムを頼りにル―ツをたどると、人生最高の出来事が」
2023年に総務省が発表した「統計トピックス」によると、70歳以上の人口は2899万人でした。そのうち、75歳以上は2005万人と、初めて2000万人超えを記録。寿命が延びた今、歳を重ねてからの暮らし方は、以前よりも選択肢が広がっているはず。70歳、あるいは80歳を過ぎても、自分らしく、楽しく、元気に暮らすシニア12人に取材した『70歳をすぎたら、もっと 自分らしく食べて豊かに暮らす』より、葉山で飲食サービスや古民家離れ宿を営業する“桃花源“主宰の伊藤千桃さんの暮らし方について、一部抜粋してご紹介します(取材・文◎野中ゆみ 撮影◎後藤さくら) 【写真】調理道具は吊るし収納。使いたいものがひと目で見つかる * * * * * * * ◆レストラン『桃花源』の始まり 伊藤さんがこの家に暮らし始めたのは、約40年前のこと。 当時、東京で夫と幼い子どもと暮らしていたそうですが、葉山に暮らすお母様に介護が必要となり、通っているうちに子どもとともに移り住むようになりました。 その後、価値観のずれを修復できなかった夫とは離婚に至ることに。 「私は仕事をしていなかったので、子どもたちと生きていく術がありませんでした。ただ唯一持っていたのが、この家。母が『あなたは誰も頼る人がいないのだから、この土地だけは持っていなさい』と私に残してくれたのです」。そして伊藤さんはこの家で、土地で採れた食材を取り入れた料理を振る舞うレストラン『桃花源』を始めました。
◆寂しさを感じていた子ども時代 「これがなかなか儲からなくて、かなり苦労しました(笑)。でも、明日は必ずやってくるので、くよくよしていても仕方ありません。悩みひとつずつと向き合い、前だけを見て日々を積み重ねてきました」。現在、伊藤さんは娘さんとその息子さんの3人暮らし。娘さんがこの家に戻ってきたときに、レストランはケータリングに業態変更しました。 「もともとこの土地は母が買ったもので、私が中学生のときに東京から引っ越してきました。母といっても血のつながりはありません。私はインドネシア人の父と日本人の母のもと、ジャカルタで生まれました。 2歳のころに母に連れられて日本へ帰国し、母の親友に預けられた後に養父母へ引き取られたのです」。養父は考古学者で、会社を経営していた養母は仕事中心で、人を寄せつけない独特な雰囲気の人だったそう。 子どもの世話はお手伝いさんにまかせきりだったため、伊藤さんは常に寂しさを感じていたと言います。
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