コミカルプロレスで活躍、義眼の現役レスラー「救世忍者乱丸」。不可能を可能にする力とは?
義眼の女子プロレスラーが今、大阪で活躍している。兵庫県尼崎市出身の彼女のリングネームは「救世忍者乱丸」。自主興行でも観客が席を埋め尽くすほどの人気ぶりだが、これまでの人生は波乱万丈と言ってもいい。覆面レスラーで、第21代TWF世界タッグ王者でもある。 隻眼のプロレスラーは、日本人で彼女1人だけだろう。半分の視力で四角いリングの上で戦うのはハンディキャップが多く、誰もが諦めてしまう。しかし、彼女は諦めず、くじけず、大病からの復活も果たし、新しいコミカルプロレスを確立してずっと試合を続けている。不可能を可能する―。その力とは何だろうか。
網膜芽細胞腫のため目を失う
―目を失ったのは何が原因だったのですか? 乱丸 3歳の時ですけど、父が私のことをあやしていたら、猫の目みたいにぴかぴか光って、なんかおかしいし、眼科に連れて行こうってなって。それで近所の眼科に行ったら、すぐに大学病院に行けってなって。行ったら、そこでまた専門の先生を紹介されて。診てもらうと、網膜芽細胞腫(もうまくがさいぼうしゅ)という目のガンで、今すぐ摘出して治療しないと広がってしまうからと言われて。1週間もしないうちに全摘手術を受けました。左目をすべて失いました。今は義眼が入ってます。2年に一回とか替えるんですけど。母は義眼の私を抱いたまま心中も考えたようですが、当の私は別段そのことを気に病むこともありませんでした。 ―義眼のレスラーは他にもいますか? 乱丸 あまり聞いたことはないですね。多分いないでしょう。視野は半分です。でも、普通の方がマスクをかぶると視野が狭くなるのと一緒で、そんなにしんどくはない。
プロレスに憧れたのはなぜ?
小学校4年から、空手師範だった父親の影響で空手を習い始めると、他の道場へも出稽古に行くほどのめり込んでいく。どんどん力をつけ、国際武道大学に進学して世界大会にも出場した。だが、大学3年の時にプロレスラーへの憧れが強くなる。 ―プロレスに憧れたのはなぜ? 乱丸 プロレスはよく観に行ってたんですけど、かっこいいなと言う女子プロの選手がいて。その人に近づきたいなと言う夢があったんです。そのうちに、自分もプロレスラーになりたいと思い始めて。父に相談すると、空手家として将来を期待していたから、反対されましたけど。それからプロレス団体のオーディションを受けましたが、すべて落ちました。目の悪いことで審査員に落とされたんです。空手をやってたので、むっちゃ自信があったんですよ。世界大会まで行って、なんの支障もなかった。まさかそんなことが起きるとは思ってなかった。 「いやいや、目が悪いことはぜんぜん大丈夫」って、そういう心境で。絶望したんです。いくら努力したって夢なんか、かなえへんわって。どうやったら女子プロレスラーになれるんかなって。どのオーディションを受けても、結果は同じ。目が悪いだけで弾かれてしまう。悶々としていた時、偶然見つけたのが、アニマル浜口さんのプロレスラー養成ジムでした。大学の講義をまとめて取ると、そのまま浅草のジムへ行って泊まり込みで練習してました。厳しいメニューをやりこなせたのは、プロレスラーになりたいという情熱以外の何ものでもなかった。同時に身体も出来上がったんです。その頃になると、業界全体で門戸を広げる機運が高まっていて、ようやくオーディションに合格しました。