コミカルプロレスで活躍、義眼の現役レスラー「救世忍者乱丸」。不可能を可能にする力とは?
辛くて脱走、戻って坊主になったことも。プロレスに終止符
―プロレス団体に入団後、すさまじいいじめに遭った? 乱丸 新人の時は仕事ができなくて、怒られて、先輩たちをむかつかせてしまって。でも、当時はいじめられてるとは思ってなかった。満足な仕事もできないし、そのうち誰にも話し掛けてもらえなくなり、マスクを外して素顔でリングに上がらされたりもしました。辛くて脱走したこともあった。戻ってくると、坊主にするか、やめるかってなって。やめたくはなかったので、頭を坊主に剃られ、見世物のようにされたこともありました。本当に惨めな思いを味わいました。 もうやめてしまおう。そしてやめた時、悔しくて悲しくて、よく泣いてた。強いレスラーになりたいと思ってたのに、泣きながらリングに上がって。結果を出せず、そんな時にやめちゃったから。親もかわいそうやと思ってたみたい。あれほど憧れていたプロレスに終止符を打ち、家業を手伝うことにしたんです。
ジャガー横田から電話「うちでやらない?」
再び彼女をリングに導いたのは、吉本女子プロレスのスター選手、ジャガー横田だった。やがて彼女は吉本女子プロレスから「救世忍者乱丸」として再デビュー。2004年4月、東京後楽園ホールで第21代TWF世界タッグ王者に。2005年からはフリーランスとして自主興行のほか、各団体に参戦している。 ―再デビューで覆面レスラーに? 乱丸 後悔ばかりしている時にジャガーさんから電話があったんです。「うちでやらない?」って言われて。「片目のない子が女子プロに入ってきたのを私は知ってたし、同じ会場にいた時にずっと観てた。頑張ってたんだよね」って。私のなかでは大師匠ですけど、それまでは接点もなかったんです。そんな憧れの人が観ててくれたってのもうれしかった。未練のあった私は「お願いします」と返事をしました。で、やめた団体のこともあって、わからないようにマスクをつけて再デビューすることになったんです。でも、直ぐにバレました(笑い)。 TWF世界タッグ王者になって、各方面から試合のオファーも舞い込むようになったが、ここでまた不運に見舞われる。「急速進行性糸球体腎炎(しきゅうたいじんえん)」という腎臓病に罹り、運動禁止、プロレスからも遠ざかることに。復帰は絶望と言われていたが、軽いトレーニングを積み重ね、その病気まで克服して2008年、約2年ぶりとなる復帰戦でカムバックした。 ―くじけなかったのは? 乱丸 復帰戦の舞台を用意してくださったのは、ジャガーさんと先輩のライオネス飛鳥さんでした。 世の中には不可能を可能にする力が存在すると私は思います。一つには固い決意と粘り強さでしょうか。絶対に人気のあるレスラーになってやろうと思ってたんで。 ―今目指しているプロレスは? 乱丸 私のプロレスは、コミカルプロレスです。最近は私たちをすごくあがめてくれるファンも増えました。プロレスで笑わせるのは難しい。間が難しいんです。今はやりがいがあって、毎日プロレスのことを考えてます。天職やなって、今、思ってます。 試合が沸くとうれしいんですよ。家に帰っても、お父さんに喜びを話します。ただ、沸かなかった時の、穴があったら入りたい感はあります。沸かない時もありますよ。 今、大阪のプロレスはインディーもあれば、どインディーもある。その分、お客さんは分散される。大阪に限らず、東京もそうですけど。とくに女子プロ人気が低迷しているので何とかしたいと真剣には考えてますけど。 「乱丸フェスタ」(自主興行)は次で10回目で、常に満席でぱんぱんの状態でないと安心はできない。乱丸フェスタを始めたのは、ジャガーさんに恩返ししたいってのがあったので、ジャガーさんをメインゲストに呼んで、成功したら第2回をやるて決めてました。コミカルレスラーって言葉も自分がデビューしてから頻繁に使われるようになったんです。 大阪と東京では、笑いの感覚が違うってよく言われる。数年前までは東京でやると冷ややかな反応もありました。やっぱり東京やから笑いが違うんかって私も思ったりしましたが、でも、今はぜんぜん関係ない。笑いは全国共通になりました。