パンダが双子を生む確率は「約45%」って知ってた?アドベンチャーワールド副園長に聞いた「もっと知りたいパンダのこと」…日中共同繁殖研究「3つの成果」そして中国へと渡ったパンダファミリーのいま
永明がグルメになった理由
続いてのパネルディスカッションでは、「次世代に紡ぐ、パンダの保全への挑戦」をテーマに、中尾副園長に加え、中国動物園協会 副会長 謝 鍾さん、成都大熊猫繁育研究基地 副主任 蘭 景超さんらが参加。司会は同園のサステナブルSmileアンバサダーで、中国への留学経験もある平原依文(ひらはら いぶん)さんがつとめました。 謝さんは「プロジェクトがスタートした94年は、まだ繁殖技術も成熟していませんでした。飼育している個体数も少なく、家系図を通じてどのパンダを日本へ送るか悩みました。健康で中国の繁殖に影響を与えないことを条件に、スクリーニングして範囲を狭め、成都の基地の意見も聞き、健康面や性格から永明と蓉浜を選んだんです」と、当時を振り返りました。 一方、永明を日本へ送った後のことを聞かれた蘭さんは「日本に行った経験のある同僚に『永明は夏になると食欲が落ちて夏バテになる。麻酔をして点滴をしたこともあるから、気をつけて』と言われました」と話します。 そこで、当時の飼育部長・林輝昭さんに「なるべく竹をメインに食べさせた方が良いのではないか」と、意見したそうです。「林さんは炎天下の中、京都や大阪にまで出向いて竹を探してくれました。それを1本1本選んで、永明に与えて食べさせたのです。この年、永明は快適に夏を過ごせたと思います」と蘭さん。 その後、パートナーの梅梅が発情。永明もそれにこたえ、同パーク初の自然交配に成功します。「中国と日本のスタッフ、今津園長も自然交配の成功に大喜び。これまでの苦労が一瞬で飛んだようにうれしかった」と、話す蘭さん。 中尾副園長も「よりいい竹を与えたことが、永明がグルメになった原因かも知れません。でもあのときは、みんな必死でした」と当時を振り返りました。
グレートファーザー・永明とその家族
北京動物園で永明が誕生した1992年、同園でパンダの繁殖を担当していたという謝さんは、永明の両親の話をしてくれました。 人工授精で誕生した永明には、ふたごの弟・永亮(Yong Liang)がいます。ふたごの飼育技術が確立していなかったこの頃、永明はお母さんに育てられ、一方の永亮は100パーセント人工保育で育った成功例として有名になりました。 「お母さんの永永(Yong Yong)は繁殖の主力選手で、毎年繁殖に参加していました。日本に送る個体に永明を選んだのには、このお母さんの存在もあります」と、謝さん。 永明のお母さん永永は、1982年に野生で保護された個体。野生出身ならではの力強さを持っていたのかもしれません。「繁殖に関しても母親のDNAが関係しているのではないかと思う。母も高齢で繁殖に参加していました。永明を日本に送って良かった」と話してくれました。