果物と野菜への愛を極めた若冲の画巻に“仏”を見る。「開館5周年記念京都の嵐山に舞い降りた奇跡!! 伊藤若冲の激レアな巻物が世界初公開されるってマジ?!」(福田美術館)レビュー(評:小川敦生)
南国のフルーツが描かれた理由
かなり意表を突かれるのが、描かれた52種類の果蔬の中に、若冲が生きた江戸時代中期の日本では採れなかったであろう南国のフルーツが混じっていることだ。パッションフルーツやライチ、中国ナシ、ゴーヤなどの果蔬がある。福田美術館の竹本理子副館長が理由を教えてくれた。 「若冲の家は青物問屋だったので、数々の野菜に日々囲まれていました。徳川吉宗の治世だった当時は、長崎を経由して様々な果物が輸入されており、そうしたものを目にすることもあったと思われます」 そもそも、この絵はたんなる静物画なのだろうか。若冲は果蔬を日々見たり触れたりしていただけではない。じつに多くの動植物を細密に描いた《動植綵絵》を見ればわかるように、若冲は執拗と言っていいくらいの観察眼の持ち主だった。おそらく、果蔬に接する観察の姿勢も、常人とは違っていたはずだ。果蔬は種類によって異なる風貌をしていること自体が、画家の創作心をくすぐる。さらに、40代になって引退するまで青物問屋の仕事をしていた若冲にとって果蔬は、人々が生きるための重要な糧であり、慈しみの対象でもあっただろう。一つひとつを愛でるように観察し、接し、自分の心の滋養にし、絵として表して他者にその滋養を広める。「釈迦涅槃図」という画題を果蔬に置き換えた一見パロディのような《果蔬涅槃図》(京都国立博物館蔵、本展には未出品)も若冲の重要な作例であり、果蔬を慈しむ若冲の姿勢を物語っている。
果蔬が仏のように見えてきた
若冲が信心深い仏教徒であることを知っているからなのかもしれないが、この絵巻物に見入っていると、だんだんそれぞれの個体が仏のように見えてきた。若冲が生まれ育った青物問屋は、現在の京都市の四条烏丸からほど近い錦市場にあり、北に1時間ほど歩くと相国寺に着いた。同寺は雪舟らが訪れたことでも知られる禅宗の古刹だが、中国伝来の絵画なども多く所蔵しており、若冲はよく見に出かけていたという。 絵には画家の魂が宿るというのが、筆者の持論である。丁寧に描かれた果蔬の一つひとつに、若冲の心のなかに存在した「仏」が入れこまれたという風に《果蔬図巻》を眺めると、さらに愛おしさが増してくる。竹本さんは、「なかには傷んでいるものも描かれている。生命を描いているということです」と指摘する。生命を宿している果蔬は、ありがたくいただくことで人間の命を支える糧にもなる。