浸水隠ぺいだけじゃない? JR九州「クイーンビートル」再開断念の裏側とは? 30年の航路を支えた苦闘を振り返る
「浸水問題が引き金に」航路撤退の背景
JR九州は、博多~釜山航路で高速船「クイーンビートル」が浸水していたことを約3か月間隠して運航を続けていた問題について、12月23日に「確実な安全を担保できない」として運航再開を断念し、航路から撤退すると決めた。。 【画像】「えぇぇぇ!?」 これがJR九州の「平均年収」です! グラフで見る(11枚) この問題は2024年2月に明るみに出た。JR九州高速船は浸水を確認しながら国土交通省への報告を怠り、数日間運航を続けたため、行政処分を受けることになった。その後、2月から5月にかけて再び浸水が発生し、航海日誌に「異常なし」との虚偽の記載があったことが国土交通省の監査で明らかになった。 このため、同社は8月に運航を休止し、9月には国土交通省が安全統括管理者と運航管理者の解任を命じた。さらに、11月には親会社のJR九州が当時のJR九州高速船社長を含む3人を懲戒解雇した。 問題となったクイーンビートルは、2022年11月に就航したばかりの新造船で、従来船では必須だったシートベルトの着用を不要にし、揺れの少ない快適な船旅を売りにしていた。しかし、この新造船で起きた浸水問題が、航路廃止の決定を引き起こした(この航路はJR九州の子会社であるJR九州高速船が運航していたが、記事中では両社の名前を使っている)。 新造船の問題だけで、30年以上続いた航路を廃止し、会社まで解散する必要があったのだろうか。実は、JR九州の撤退決定には、 ・航路運営の不安定さ ・航空会社との競争激化 など、より根本的な課題が背景にあった。
日韓航路に新風を吹き込んだ高速船
この航路は1991(平成3)年3月に誕生した。それまでは関釜フェリーが日韓間の航路を独占していたが、所要時間が通関待ちを含めて約15時間半かかっていた。これに対して、JR九州は高速船(ジェットフォイル)を導入し、所要時間を2時間50分に短縮することを目指した。 当初、この航路は空路に対して大きな優位性を持っていた。福岡~釜山間の航空運賃は片道1万5700円で、高速船は1万2400円と安価だった。また、高速船は釜山市街地に近い港に到着するため便利だった。航空便は福岡空港から金海国際空港まで50分と短かったが、金海空港から市街地へのアクセスにはバスを利用する必要があり、待ち時間を含めると高速船とほぼ同じ所要時間になっていた。 航路が開設された1991年は、韓国の経済発展と日韓交流の拡大期にあたる。1989年1月に韓国で海外渡航が自由化されると、訪日客が急増した。同年1~4月は17万6891人となり、前年同期の8万5171人から倍増した。この時期、地理的に近い九州各地では、韓国との交流拡大をビジネスチャンスと捉え、航路開設が相次いだ。『西日本新聞』1990年3月29日朝刊では、次の航路が開設・開設予定であることが報じられている。 ・長崎~済州島(日本海洋高速・高速船) ・福岡~麗水(福岡国際フェリー・カーフェリー) ・福岡~馬山(国際高速フェリー・カーフェリー) ・福岡~釜山(近海郵船・カーフェリー) 特に福岡市は観光を超えた経済交流のハブを目指していた。1989年のアジア太平洋博覧会を契機に 「アジアの拠点都市」 構想が打ち出され、博多港の外航施設整備が進められた。また、好景気も追い風となり、市内では1989年1~10月だけで2065社もの新規企業が設立され、翌年には韓国領事館も開設された。アジアとの経済交流への期待が高まっていたなかで、JR九州は高速船事業への参入を決断した。