なぜ、最低賃金ニュースは“経営者の悲鳴”ばかり? 労働者の声が消えるオトナの事情
新年早々、お屠蘇(おとそ)気分が吹っ飛ぶような暗いニュースが注目を集めた。 2024年11月、最低賃金が896円から980円へと引き上げられた徳島県で、零細企業経営者が「これだけの給料を払い続けられるほど利益はない。今のままでは人は雇えない」(時事通信 2025年1月5日)と悲鳴を上げているというのだ。 【画像】え、時給596円? 「時給別の労働者数」を見る これを受けてSNSでは「最低賃金を引き上げるなら、中小企業が倒産しないように手厚い補助をすべきだ」「石破政権は1500円を目指すとか言っているけれど、やはり引き上げ幅は慎重になるべきだ」と議論が盛り上がっている。 どのような形にしろ、最低賃金に関心が集まることは喜ばしいことだ。しかし、今回のようなニュースを見るたび不思議に思うことがある。 なぜマスコミはこのテーマになると、「経営者側の苦境」ばかりをことさら強調するのか、ということだ。 いや、もちろん時給84円アップが耐え切れず、廃業に追い込まれそうな経営者には同情する。それで無職になって、次の仕事を探さなくてはいけない人たちも気の毒だ。しかし、そのような人たちと比べ物にならないほどの苦境に追いやられて、悲鳴どころか貧しさで疲弊して声を上げられない人たちもいる。徳島県内の「低賃金労働者」だ。 最低賃金で働くのはシングルマザーなどの一人親が多い傾向があり、子どもの貧困などの問題にもダイレクトに影響を及ぼす。深刻度でいえば、こういう人たちの声もしっかり取り上げるべきだが、今回のニュースのように、会社が潰れそう、経営が苦しいと訴える経営者の声ばかりにフォーカスが当たっていることに、どうしてもモヤモヤしてしまうのだ。
なぜ徳島県は最低賃金を大幅に引き上げたのか
そもそもなぜ、徳島県はここまで大幅な最低賃金引き上げに踏み切ったのか。理由の一つは、労働者側が文句を言わないことをいいことに、常軌を逸した低賃金で過酷な労働を強いる事業者がいるからだ。 「令和6年最低賃金に関する基礎調査結果」によると、徳島県が1624事業者を対象に調査したところ、これまでの最低賃金896円さえも払われていない労働者が1230人いた。 「低賃金労働者の一覧」には、耳を疑うような「搾取」が明らかになっている。例えば、10~29人規模の製造業で働く60歳女性の収入を時給換算すると794円だった。9人以下の宿泊、飲食業で働く55歳の女性は、なんと時給596円だった。 これだけ物価上昇が騒がれ、値上げが続く今の日本社会でも、このような常軌を逸した低賃金労働を強いられている人々がまだたくさんいる。「弱者の味方」を標榜するマスコミが取り上げるべきは、このような人々の「こんな安い給料じゃ生けていけません」という悲鳴であることは言うまでもない。時給84円アップで廃業に追い込まれる経営者の悲鳴を取り上げることも必要だが、それと同じくらいの熱量でこちらも世に伝えるべきではないのか。 ……という話をすると、「そういう大変な人もいるだろうが、ほんの一握りに過ぎないんだから騒ぎすぎだ」といったご指摘があるだろう。 そう、筆者が指摘したいこともまさしくそれなのだ。「ほんの一握りの人々が抱える問題を、全体のように語るのはいかがなものか」というのなら、「経営者が悲鳴!」的なニュースほど不自然なものはない。 「最低賃金引き上げで廃業に追い込まれる経営者」というのは、実は「最低賃金以下で働く労働者」と同じく、ほんの一握りに過ぎないからだ。