時計の歴史に残した偉大な足跡 ハミルトンの「ベンチュラ」伝説を紐解く
「時代を超えて愛される名作時計」を挙げていくと、総じてクセのないベーシックなデザインがほとんどであることに気づく。だが、例外もある。ハミルトンの「ベンチュラ」だ。 アシンメトリーな三角形のケースが強烈な存在感を放ち、文字盤のエレクトロニックシンボルやインデックスといったディテールはどこか近未来なイメージを漂わせる。 発売から70年近くが経過するが、エッジのきいたデザインは今なお見る者に新鮮な驚きを与える。腕時計の歴史に偉大な足跡を残す「ベンチュラ」。今、あらためてその伝説を紐解こう。
アメリカ初の定期航空便の公式パイロットウォッチ
今回、お話をうかがったのは、ハミルトンのPR担当者だ。まずは「ベンチュラ」を生み出したブランドの歴史から。
「ハミルトンは1892年、アメリカ・ペンシルバニア州ランカスターにて創業しました。1900年代、高い精度を持った懐中時計がアメリカ鉄道に採用され、大陸横断鉄道の発展に貢献し、『The Watch of Railroad Accuracy(鉄道公式時計)』の称号を手にしました。1910年代には、アメリカ初の定期航空便の公式パイロットウォッチにも選ばれています」
第1次世界大戦中には、アメリカ軍の公式ウォッチサプライヤーとなり、兵士たちのためにミリタリーウォッチを納入した。 「第2次世界大戦時には100万個以上の腕時計や航海用時計を軍に供給し、その功績が評価され、『Army-Navy ‘E’ Award』を受賞しました」 現在はスイスを本拠地とする世界最大の時計製造グループ、スウォッチ グループに所属。同グループ傘下の世界的ムーブメントメーカー、ETA社のムーブメントを使用するなど、高い品質とコストパフォーマンスを実現するブランドとして、時計界で確固とした地位を確立している。
“鬼才”と呼ばれたインダストリアルデザイナーがデザインを担当
そんなハミルトンが「ベンチュラ」を生み出したのは1950年代のこと。アメリカン・ドリームがもっとも身近にあったこの時期は、優れたデザインが数多く輩出されたミッドセンチュリー・モダンの黄金期でもある。人々もまた、自由で新しい時計の出現を求めていた。 「ハミルトンは新モデルのデザインにあたり、時計デザイナーではなく、あえてインダストリアルデザイナーのリチャード・アービブ氏にオファーしました」 リチャード氏は、キャデラック社の車をはじめ、センチュリー・ボート社のボート、ユーレカ社の掃除機など、さまざまなプロダクトデザインを手がけた人物だ。 「彼は当時の時計は創造性に欠け、保守的なデザインばかりであると考えていました。時計は文字盤からベルトまで、すべてのパーツがコーディネートされ、時計全体でひとつのデザインとして完結するべき、という信念を持っていました」 そしてハミルトンはこんな依頼をしたという。 「実用性をまったく考慮せず、自分の望むままにデザインしてほしい」 この言葉が鬼才の創造性に火をつけた。スケッチは数百点にのぼり、完成までには5年もの歳月が費やされたという。1957年、他に類を見ない腕時計が誕生した。