「3位は吉田茂、2位は佐藤栄作で…1位は?」2025年は昭和100年!「総理在職日数ベスト10」で振り返る
ベスト10にそろって入った安倍・佐藤栄作・岸信介は、周知のように一族である。先述の通り岸と佐藤は実の兄弟で、安倍晋三の父・安倍晋太郎は岸の娘婿にあたる。 ■「3本の矢」の効果はあったのか 安倍は退任後にテロに斃れたが、後任の菅義偉、岸田文雄の両政権があまりにも虚弱だったことから、今さらながらその長期本格政権ぶりが際立つ。 許しがたいテロの凶弾は、結果的に自民党と旧統一教会とのズブズブの癒着関係をあぶり出してしまった。ただそのために、アベノミクスの功罪が現在の政治経済にどう影響しているかの検証が、うやむやになったことは否めない。
具体的に、平成24(2012)年12月からの第2次安倍内閣が掲げた「3本の矢」の効果はどうだったのか。「異次元緩和」と言われた、①「大胆な金融緩和政策」、②「機動的な財政政策」、③「民間投資を喚起する成長戦略」の3本の柱である。 それらは、デフレ脱却と富の拡大という基本路線に沿ったものだった。そして確かに、GDP55兆円増と、労働人口350万人増、株価上昇は達成された。だが誰もが指摘するように、経済成長率2%は未達成に終わった。
今、安倍政権の非主流派に甘んじていた石破茂は念願の総理となり、微妙に安倍長期政権を評価するスタンスに変えているようにも見える。自民党が絶対多数を失っただけでも本格政権にはほど遠い現状から、どう政策を進めていくのか、お手並み拝見である。 本稿の最後に、在職日数が短かった総理についても見てみよう。短命総理ワースト3である。 ▶3位 石橋湛山〔65日〕 ▶2位 羽田孜〔64日〕 ▶1位 東久邇宮稔彦王〔54日〕
■2カ月ももたなかった短命政権 最短は、敗戦処理のため昭和20(1945)年8月17日に総理に就いた皇族の東久邇宮捻彦内閣である。 降伏文書の調印や、軍隊の復員と解体をおこない、占領軍の受け入れを担ったが、GHQの方針に対応できず54日で幣原喜重郎に後を譲った。 それより10日長く総理を務めたのが、少数与党だった新生党の羽田孜だ。 もともとは自民党田中派の幹部だった。平成6(1994)年に64日で退陣し、自民党・社会党・新党さきがけの3党による「自社さ」連立政権の村山富市総理の誕生を促した。
戦前から、日本の帝国主義に対して『東洋経済新報』誌上で「小日本主義」の論陣を張った石橋湛山は、昭和31(1956)年に総理の座を手にしたが、病気のため惜しくも65日で退いた。後継に就任したのは、昭和以後7位の長期政権を築いた、巣鴨プリズン帰りの岸信介であった。 ちなみに現総理の石破茂は、この令和6(2025)年1月4日で在職96日目を迎えた。 さて石破政権は、いつまで続くことだろう。
高澤 秀次 :文芸評論家