「3位は吉田茂、2位は佐藤栄作で…1位は?」2025年は昭和100年!「総理在職日数ベスト10」で振り返る
戦時中、「米機撃滅」のスローガンは掲げられても、「英機撃滅」はタブー(不敬罪)という暗黙の国民的了解があったくらいだ。 東条は在任中、首相兼陸相兼参謀総長だったが、参謀本部に出向くときのみ参謀肩章を付け、自分なりにけじめをつけていたらしい。 ■軍人が総理大臣になった時代 この時代に政党内閣制が崩れて現役軍人が総理大臣になったのは、昭和7(1932)年、犬養毅総理が銃殺された五・一五事件後の斎藤実(海軍大将)内閣以降である。
その最大の問題は、国民の負託を受けていない「軍人」が統帥権を握り、独断で軍を動かすために国民の税金を国家「予算」として自由にしたことに尽きる。 戦後、近衛はA級戦犯容疑を逃れるように服毒自殺し、東条はピストル自殺未遂でGHQに保護された後、東京裁判(その歴史的是非は措く)で戦犯とされて絞首刑になった。 ▶8位 岸田文雄〔1094日〕 在職日数の8位は、去年まで総理の座にあって記憶に新しい岸田文雄である。この総理、人気も実績もぱっとしなかった。
ただそれは、彼の責任とばかりとは言えない。 長きにわたり党を仕切ってきた二階幹事長を引きずり降ろし、前任の菅総理に引導を渡し、高市早苗、野田聖子、河野太郞を圧して総理の座に就いたところまではよかったが、「経済、経済、経済」とスローガンを3度復唱したわりには、具体的にこれといった目玉になる政策を打ち出せなかった。 デフレからの完全脱却を目指す「骨太の方針」も、「新しい資本主義のグランドデザイン」も、長期政権を前提とする絵に描いた餅に終わった。
▶7位 岸信介〔1241日〕 岸信介は、農商務省の官僚から、戦時期に東条英機内閣の商工大臣を務め、東京裁判では、A級戦犯容疑で巣鴨プリズンに収監された。満州国のグランドデザインを描いたことを、自他ともに認めている。 ■安保闘争デモが本当に要求したことは? 昭和35(1960)年、戦後日本最大の政治テーマ「日米安全保障条約改定」を強行採決後、引責辞任した。 当時、国会議事堂を取り巻いた全学連をはじめとするデモ隊の多くは、改定された条文そのものをほとんど読んでいなかったと言われる。