「3位は吉田茂、2位は佐藤栄作で…1位は?」2025年は昭和100年!「総理在職日数ベスト10」で振り返る
つまり、60安保闘争の焦点は、元A級戦犯・岸信介内閣に対する倒閣運動だったのだ。 これは、当時の全学連の幹部・西部邁(後の東大教授で保守派の論客)の証言によっても確かめられる。事実、安保条約自動延長の後、自民党は長期安定政権の道を歩むことになる。 ▶6位 池田勇人〔1575日〕 昭和30年代後半に総理を務めた池田勇人は、高度経済成長路線のリードオフマンとして知られる。 「所得倍増」をスローガンに、「経済はこの池田にお任せください」「私は嘘を申しません」とダミ声で連呼した。
筆者はこれを、国会演説ではなく、白黒テレビ時代の自民党広報のコマーシャルとして聞いた。現代なら炎上必至の、「貧乏人は麦を食え」と言ったのもこの総理だ。 大蔵官僚出身の池田の率いる「宏池会」からは、大平正芳、宮沢喜一、近くは岸田文雄総理を出し、自民党内ハト派を自任する一派となる。 ▶5位 中曽根康弘〔1806日〕 軍人出身として最後に総理になったのが、中曽根康弘である(海軍主計少佐で終戦)。 文民統制のもと、内務官僚出身の後藤田正晴を官房長官に起用したことで、タカ派的な動きにはブレーキがかかった。
■「ロン・ヤス」の日米関係や行政改革で実績 中曽根は、ハリウッド俳優出身のアメリカ大統領ロナルド・レーガンと、戦後の歴代総理のなかで最も親密な友好関係を築いた。 日米両首脳が互いをファースト・ネームで呼び合うようになったのは、彼らの「ロン・ヤス」関係に始まる。 中曽根は行政改革で実績を上げ、経団連の土光敏夫を起用しての臨調(臨時行政調査会)には、元帝国陸軍の作戦参謀で戦後は伊藤忠商事の会長を務めたフィクサー・瀬島龍造が、「臨調の官房長官」の異名を取って活躍した。
中曽根は総理を退任後も衆議院議員を続けて通算20回当選、令和元(2019)年に101歳の長命で死去した。 ▶4位 小泉純一郎〔1980日〕 中曽根より約半年長く総理を務めて1ランク上の順位となったのが、小泉純一郎だ。 小泉純一郎は、森喜朗派にいながら派閥の長にもならず、総理の座を射止めた例外中の例外だった。 これは、自民党総裁選挙の際の田中真紀子(小泉内閣では外務大臣となる)のサポートが大きかった。郵政民営化をただ一つのスローガンに、旧態依然たる「自民党をぶっ壊す」と演説、後に本当に自民党はぶっ壊れることになる。