「これって、いいの?」鑑賞者の倫理観を揺さぶるソフィ・カルの「不在」を写真研究者・村上由鶴が紐解く
『再開館記念『不在』―トゥールーズ=ロートレックとソフィ・カル』が、東京・丸の内の三菱一号館美術館で開かれている。本展は、フランスを代表するアーティスト、ソフィ・カルと、同館のコレクションの中核をなすロートレックの作品が、空間をわけて展示されている。1月26日まで。 【画像】ソフィ・カルの作品 テキストや写真、映像などを組み合わせた作品を数多く発表し、大胆な作風で鑑賞者の心や倫理観を揺さぶるソフィ・カル。著書『アートとフェミニズムは誰のもの?』(光文社新書)などで知られる写真研究者の村上由鶴は、現代美術に強く惹かれるようになったきっかけのひとつとして、カルの作品をあげる。 今回は、そんな村上に本展を見てのレビューコラムを寄稿してもらった。本展におけるカルの作品に焦点を当て、その背景や真意を読み解く。さらに、展覧会名の「不在」をキーワードに、カルの作品における「不在」について紐解いていく。
ロマンティックな一方、他者の繊細な経験に踏み込むような側面も
彼女の作品を見るとき、いつも決まって感じることがある。「本当なの?」か、あるいは「これってなんか……いいの?」である。 ソフィ・カルは、写真とテキスト、映像、オブジェなどを組み合わせ、エピソードや物語を提示するコンセプチュアルな手法で作品を発表するフランスの現代美術家である。その作風は虚実の曖昧さを盾に他者の繊細な経験やプライベートな状況に踏み込んでいるようにも見え、静かでロマンティックではあるが同時にちょっと「迷惑系」のようでさえある。本稿では、三菱一号館美術館で開催されている『再開館記念『不在』―トゥールーズ=ロートレックとソフィ・カル』の出展作を中心にカルの作品を振り返る。 三菱一号館美術館の『再開館記念『不在』―トゥールーズ=ロートレックとソフィ・カル』は、同館のコレクションの中核をなすロートレックの作品とソフィ・カルを併置させ「不在」というテーマで接続させた展覧会である。 本展は、2020年に開館10周年記念展として企画されていた『1894 Visions ルドン、ロートレック』にカルが参加する予定になっていたことに端を発する。しかし世界的な新型コロナウイルス感染症の流行によってカルの来日は見送られることとなり、したがって本展は、三菱一号館美術館においてははじめての現代アートのアーティストの展覧会となった。