「これって、いいの?」鑑賞者の倫理観を揺さぶるソフィ・カルの「不在」を写真研究者・村上由鶴が紐解く
「不在」を遊び、戯れているかのようなカルの作風
本展の見どころはまず、三菱一号館美術館の収蔵作品であるオディロン・ルドンによる巨大なパステル画『グラン・ブーケ(大きな花束)』に呼応するカルの『グラン・ブーケ』だろう。カルの『グラン・ブーケ』は、ルドンの『グラン・ブーケ』が、作品保護のために限られた期間しか公開されず、通常は展示室内の壁の裏側に保管されていることに着想している。 カルは、美術館のスタッフやそこに携わる人々に(あるいは美術館を訪れる客にとっても)記憶のなかにだけ存在している状態が常であるルドンの『グラン・ブーケ』について尋ねた。本作は、そこで聞き取ったテキストがライトボックス(※)で展示されており、それを読んでいると、ルドンの『グラン・ブーケ』のイメージが思い出したように点灯するという作品である。 「初めてこれを見た時、綺麗さのあまり涙してしまった」、「パワー、意志、存在を感じる」、「明るく平和な世界」と、パステル画への好意的な語りが大半を占めているが、カルの作品の特徴は、そのような肌あたりのなめらかな言葉に終始しないところにある。「『グラン・ブーケ』の花には死の香りが漂う」とか、「この絵から思い起こすものは何もない」といった暗さやざらつきを感じさせる語りを、明るい花束のイメージに重ね、カルはルドンの『グラン・ブーケ』および三菱一号館美術館という場所を、本展の「不在」というテーマに強く引き寄せている。 ところで、本展のタイトルに冠されている「不在」は、ロートレックやカルに限らず現代美術においては多くのアーティストがさまざまな方法で扱ってきたテーマである。例えば、ベッドシーツによったしわで愛する人の喪失を表現したフェリックス=ゴンザレス・トレスや、クリスチャン・ボルタンスキーの古着の山などはその代表的な例だろう。河原温のアーティストとしての生涯および存在はそれ自体が不在を体現していたと言っていいかもしれないし、2018年に余命宣告を受けてからも制作を続け2019年に亡くなった佐藤雅晴のアニメーションのなかで鳴りつづける電話も誰かがそこに「いない」ことを否応なく感じさせた。そして、これらの作品における「不在」ははっきりと死の気配を感じさせるという点で共通している。 こうしたアーティストたちと比較すると、ソフィ・カルの作品における「不在」は、幾分、皮肉めいていると感じざるをえない。もちろんカルの作品のなかにも死を感じさせるものがあるが、『グラン・ブーケ』のように必ずしも生死に直接的に関わるものではない場合が多く、喪失の感傷に浸るというよりは「不在」を遊んでいるようである。 ※蛍光灯やLED照明が入った箱で、一つの面が半透明のアクリル板などでできているもの。