「これって、いいの?」鑑賞者の倫理観を揺さぶるソフィ・カルの「不在」を写真研究者・村上由鶴が紐解く
「これってなんか……いいの?」鑑賞者の倫理観を揺さぶり、問いを投げかける
不在と戯れている例としては『グラン・ブーケ』と同様に、『あなたには何が見えますか?』や『監禁されたピカソ』など、美術館における「不在」を扱った作品がそれに当たるだろう。 『あなたには何が見えますか?』は、美術館での作品盗難事件に着想を得て、盗難にあい、空になった額縁だけをその作品がもとあった場所に置き、その額縁のなかに「何が見えるか」をカルが来館者や学芸員、警備員らに尋ねたという作品である。 また、『監禁されたピカソ』はコロナ禍でのピカソ美術館の休館中に、作品保護のため隠されたピカソの絵画を撮影した写真作品であり、2023年、ピカソ没後50周年を記念するアーティストとしてピカソ美術館に招聘され、ピカソ美術館でピカソの「不在」を強調した。ちなみに本作はピカソという美術史上の巨人と、彼への固着した評価を無批判に信頼し、価値あるものとして賛美する権威主義への抵抗と読み解くこともできる。 加えて、カルの代表作のひとつである『盲目の人々』では、目が見えない人に「あなたにとっての美しいものとはなにか?」と問い、その答えを記録した。この作品では、この問いへの答えがテキストとして展示され、それに対応するものや光景の写真と目の見えない人のポートレートが添えられている。ちなみに、カルの作品には失明した人に「あなたが最後に見たものはなにか」と尋ねるというシリーズも制作している。 これらの作品はいずれも、「ないもの」を見ろといったり、見どころを見えなくしたり、あるいは、ない(かもしれない)経験について語ることを強いているようなもので、いくら作品とはいえ「これってなんか……いいの?」と、鑑賞者の倫理観に触れてくる(そして「本当なの?」とも感じる)。特に『盲目の人々』のプロジェクトには「なんて残酷なことを」と、感じる人もいるだろう。実際、『盲目の人々』を構成するポートレートは、目が見えない人の目や、カメラ目線には決してならない視点といった、身体的特徴を強調するものとなっている。 しかし、この作品たちは、鑑賞者のなかにある美や美術における視覚偏重の傾向を指し示してもいる。実際、「美しいものはなにか?」と問われた目が見えない人々の答えは、当然のことながら実に多彩だ。著名な俳優の名前をあげる人もいれば、「羊」と答える人もいる。ある少年は「緑が最も美しい」としたうえで、「自分がなにかを好きだというときは、それが緑だと言われるから」と答えている。この作品の作り方を聞いて「これって、なんか、いいの?」と思うことの裏側には、無意識のうちに美しさと視覚を過度に結びつけている感性があるのだ。このように、いささか乱暴にも感じられる問いに反して、協力者たちの答えが繊細であることが、カルの作品をユーモアに終始させず切実なものにしている。