現代民主主義社会おける王室の意味とは? エリザベス女王の死に考える
王室は思想の過激化を抑える?
前回、世界各国の過激派について、物理学的なエネルギー現象として考察したのだが、王室を維持している国は、その政治思潮が比較的穏健であったように思われる。イギリス、ベルギー、ノルウェー、スウェーデン、デンマーク、タイ、あるいは日本、こういった国は、中世から近代への転換が比較的穏健であり、また現在の政治状況も比較的穏健であるようだ。王室には過激派の振り子を抑える力があるのだろうか。 特にイギリスという国は、フランス革命の過激にも、ドイツ帝国(第三帝国も含めて)の過激にも、ロシア革命の過激にも、穏健な立場を維持して現実主義を貫いたのであり、それが王室の存在と関連していると考えることは不可能ではない。「保守」のバイブルとされるエドマンド・バークの『フランス革命の省察』は、フランス革命の渦中にいる友人への反論のかたちをとっており、まさにフランスとイギリスを比較するかたちで、急進的近代化に対する保守的近代化を正当化したものだ。革命と独立が連続した18~20世紀の世界史において、英国の「王室維持」は「保守主義」の代名詞であった。逆にいえば、保守とは、「近代的革新に対する反対」の意味ではなく、「急進に対する漸進」の意味というべきではないか。 しかし日本の皇室はどうであろう。幕末の尊王攘夷運動、昭和前期の民族主義ファシズムに巻き込まれた。日本の皇室の歴史は、必ずしもイギリス王室の歴史と同調するわけではない。
ヨーロッパの王室は武力の頂点であった
自由主義にしろ、民主主義にしろ、社会主義にしろ、共産主義にしろ、市場主義にしろ、宗教原理主義にしろ、「主義」というものは常に過激化する危険性をもつ。 前回述べたように、それは政治的な思想と理論の属性であり、その過激化を抑えるのは、それに対抗する思想でも理論でもなく、単に先祖から続いてきた象徴を大事にするという「郷愁」のような集団感情なのだ。 ヨーロッパにおける王室は、中世、武力の頂点としての権力者であった。その王室を武力の頂点から引きずり下ろすことが、中世から近代への転換であった。その過程において、市民階級(ブルジョワジー)あるいは労働者階級(プロレタリアート)が、王室とそれに連なる貴族を、過去の権力者として断絶するか、あるいは何らかのかたちで維持するのかが、革新か保守かの分かれ目であった。 フランスはギロチンによって断絶し、イギリスは曲折を経ながらも維持し、アメリカは独立戦争によって縁を切り、ロシアは銃殺によって断絶した。またドイツは二つの大戦の敗戦によって断絶せざるをえなかったが、日本は敗戦によっても断絶されなかった。戦後日本の皇室の存続にはマッカーサーとGHQという外的権力の政治的思惑と文化的思惑がはたらいてもいたのだ。