現代民主主義社会おける王室の意味とは? エリザベス女王の死に考える
日本の皇室は文化的象徴
どうも、世界の王室と日本の皇室を同一に論じることは難しい。 逆に日本の皇室の異質性をはっきりさせる方がいいように思われる。よくうたわれる「万世一系」がそのことをよく表している。前述のごとく、中世ヨーロッパの王室は武力の頂点としての権力であり、その武的権力が失われることに、中世から近代への変革の意味があった。これはロシアでも中国でも同様である。しかし日本の皇室(天皇)はもともと武力の頂点ではなく、象徴的な文化的な権力である時代が長かった。平安時代は王朝時代といわれるが、実際の権力を握っていたのは藤原摂関家であった。鎌倉以後の武家の時代に至っては、天皇は政治的な力をほとんど失って文化的な象徴となっていた。赤坂憲雄の『王と天皇』(ちくま学芸文庫1993年刊)に詳述されているのもまさにその点であり、それが現在の学界の常識でもあるように思う。 しかし明治維新という近代化のスタート時点において、海外列強の皇帝に合わせるかたちで、新しい意味での天皇像が誕生したのである。日本では、維新を近代への革命とする考え方が強いが、かたちとしては王政復古であるから、欧米ではレボリューションとは逆のレストレーションとされる。この認識のずれに日本社会の近代化の特殊性がある。
帝国主義時代の新天皇像
明治維新という日本国の近代化が始まった時期、世界は帝国主義のまっただ中にあった。いわゆる列強は「皇帝あるいはそれに匹敵する王」を中心にして植民地獲得に血道をあげていたのである。イギリス(大英帝国)ではヴィクトリア女王、フランスでは皇帝ナポレオン3世、ドイツでは明治維新より少し遅れて1871年にプロイセンを中心に帝国が成立しヴィルヘルム1世が皇帝に即位、ロシアでは皇帝アレクサンドル2世、といった時代で、アメリカでは大統領がそれに近い中心のシンボルであった。 皇帝(エンペラー)の語源は、古代ローマのインペラトルで、軍事統率者の意味である。キヨッソーネの肖像画によって初めて国民の前に現れた天皇(明治天皇)の姿は、洋装の軍服に軍刀をもっていた。明治政府は何よりも、天皇が西洋列強の皇帝と並ぶ軍の統率者であることを強調したかったのだ。新しい天皇像の登場である。しかしそれはあくまで明治政府が求めた「像」であって、実際に天皇が政治的あるいは軍事的実権を握ったという意味ではない。 幕末の騒乱は「尊王攘夷」という排他的ナショナリズムが思想的根幹であった。しかしそれだけでは、維新以後の中央集権国家の建設、攘夷から文明開化への思想転換は不可能であったと思われる。これを可能にするためには、列強の「皇帝」に見合う絶対的象徴を必要としたのだ。そこに将軍に代わる「天皇」が当てはまるのは必然である。また天皇中心の紀伝体で書かれた『大日本史』を編纂した水戸学派の藤田幽谷、会沢正志斎、藤田東湖などが中核となって、幕末の思想家や志士たちに影響を与えるのも必然であった。尊王攘夷は単なる外国アレルギーではなかったのだ。