「性的弱者を理解できない人」が、社会に一定数存在する根深い理由
Trans-womanであり性社会文化史研究者の三橋順子さんが明治大学文学部で13年にわたって担当する「ジェンダー論」講義は、毎年300人以上の学生が受講する人気授業になっています。その講義録をもとにした書籍『これからの時代を生き抜くためのジェンダー&セクシュアリティ論入門』が、このたび刊行されました。 【漫画】ある日突然、彼氏が女装を始めた...交際中の私が周りに言われた“好き勝手な本音” 今回は、その中から、なぜ現代に生きる人々にとって、「性」を学び、深く考えていくことが重要なのかについて説明していきます。 ※本稿は、三橋順子著「これからの時代を生き抜くためのジェンダー&セクシュアリティ論」(辰巳出版)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
死んでも「性」はつきまとう
「性」を考えることの意味について、5つの観点からお話しします。なぜジェンダー&セクシュアリティ論、もっと砕いて言うと「性」の問題を学ぶ必要があるのか? というGender&Sexuality Studies への導入、動機付けです。 ひとつ目は、「生」と「性」の不可分性ということです。人は生後すぐに、好むと好まざるとにかかわらず男か女かに分けられ(指定され)、男は「男らしく」、女は「女らしく」あることを求められながら成長していきます。そして大多数の人は、男は男として生き、そして死に、女は女として生き、死んでいきます。 このように「性」というものは、人間が否応なく一生にわたって背負っていくものであり、つきまとってくるものです。「性」はまさに「生」であり、「生」もまた「性」であり、「生」と「性」は不可分なのです。 しかも、性がつきまとうのは生きている間だけではありません。死んだあとですら、「性」がついてきます。たとえば、仏教のお葬式では、お坊さんから戒名を授かります。本来は出家した際の名前ですが、ここでは死後の名前と考えていいでしょう。それに、男女別があります。男性なら「○○居士(こじ)」、女性なら「○○大姉(だいし)」や「○○信女(しんにょ)」などです。では、トランスジェンダーの人はどちらの戒名になるのでしょう? 『おくりびと』(2008年、監督:滝田洋二郎/主演:本木雅弘)という納棺師を主人公にした映画があります。その中で若くして亡くなったニューハーフさん(男性として生まれながら女性としてダンサーや接客業、あるいはセックスワークをしている人)を送る場面が出てきます。納棺の前に死化粧をするのですが、男性、女性どちらの化粧をしたらいいか納棺師が両親に尋ねるシーンがあります。 ここでは、母親が女性として生きたかった息子の気持ちを汲んで「女性の化粧で」と答えるのですが、現実にはなかなかそうもいきません。世間体を重んじる親が、故人の遺志を無視した例を私はいくつも知っています。