「性的弱者を理解できない人」が、社会に一定数存在する根深い理由
たくさん引っかかる人がたくさん考える
4つ目は、女性と性的マイノリティの役割についてです。このようにみずからの「性」を考え、社会的な「性」の仕組みを知ることは、人が自分らしく生きていく上で大切なことです。にもかかわらず、多くの人にとって、そうした機会は多いとは言えません。 こうした「性」の有り様を真剣に考えることを重ねてきたのは、社会の中で性的弱者である女性、あるいは性的に少数者である非典型な「性」の人たち(ゲイ/レズビアン/バイセクシュアル/トランスジェンダー=L/G/B/T)でした。彼女/彼らは、「性」に関わる社会的抑圧をより多く体験するがために、あるいは「性」の有り様が多数派(マジョリティ)とは異なるために、「性」の問題を敏感に、そして真剣に受け止めて考えざるを得なかったのです。 いっぽう、社会的性的強者であることを自認してきたヘテロセクシュアル(異性愛)の男性は、一般的に性的事象には敏感でも、みずからの「性」の問題にはきわめて鈍感で、内省的になることは稀でした。 引っかかりがきっかけになり考える――。つまり、たくさん引っかかる人がたくさん考えることになります。私の世代ですと「女の子なんだから(大学には行かず)高校まででいいだろう」といった話は珍しくありませんでした。 あるいは、サッカーが好きな女の子でも「女の子なんだから」という理由でサッカーはできませんでした。「なんで女の子は駄目なの?」と聞いても「当たり前でしょ。女の子なんだから」と理不尽な答えしか返ってきません。だから考えるのです。 自分が性的に非典型なことに気づいても、情報は少なく、「それでいいんだよ」と肯定してくれる人は周囲にいません。ですから自分で真剣に考えるしかないのです。 逆に、性的に何も引っかからずに成長した人は、考える機会がありません。男の子として制約なく育ち、女の子を好きになり、適当に遊んで、結婚する。自分の「性」に悩んだことがないので、「性」に向き合う必要のなかった鈍感な男性は、今の50代以上の世代にわりと多くいます。