「放射する文化」と「受容する文化」――中国との関係で考える日本文化(下)
唐詩と和歌
日本文化の正統は何といっても「和歌」である。日本文化を考えることは和歌を考えることでもある。 平安王朝が「和歌の宮廷」となったのは、実は唐王朝が「詩文の宮廷」であったからだ。李白、杜甫、白楽天、王維、孟浩然といった綺羅星のごとき詩魂は、日本人の心にも深く染み込んでいる。そうでなければことさらに「和の歌」と呼ぶ必要もない。 僕は中国からの留学生とともに唐詩の中の建築記述を研究したことがあるのだが、和歌との比較において、なかなかおもしろいことに気がついた。 唐詩に登場する建築として、まず「城」と「楼」が多いことがあげられる。「城」といっても日本の天守閣のようなものではなく、都市そのものを、あるいはそれを囲む城壁を指す。「楼」はいくつかの層を重ねた建築を意味する。中国の詩人は、高楼に上がってはるか遠くの景色を眺めながら、歴史を振り返り、国を憂い、友を想い、人生を慨嘆(がいたん)するのが常であった。 さて『万葉集』の空間は、山や川といった大自然に開かれていたが、『古今和歌集』以後の和歌の空間は、庭先の小自然に限定される傾向にある。つまり和歌のまなざしが「すだれ越しの花鳥風月」に向けられているのに対して、唐詩のまなざしは「高楼からの大山大河大湖」など広大な自然に向けられているのだ。「風」や「月」も、和歌では庭先の景物だが、唐詩では大きな空間の表象である。 時間に対しても同様で、和歌が刹那的といえるほど現在だけを見て季節の移ろいを表現したのに対して、唐詩は歴史的な悠久の時間を感じさせる。しかし「時間の経過」というものに対して人間が無力な存在であるという詠嘆では両者一致している。その詠嘆が、和歌では鳥や虫や花の命といった儚いものに、唐詩では大河の流れや都城といった永続的なものに託されているのである。 またそこに込められている意味も対照的である。 和歌の表現は、政治や思想を排除した花鳥風月という自然の情緒あるいは秘めやかな恋愛情緒などで、それが「風流」というものであったのに対して、唐詩の表現には、何かしら政治的、思想的な観念が込められている。ただそれが、どちらかといえば現実に批判的であり、厭世的な匂いをもつという点では、和歌と同様のスタンスである。 「別離」は、ともに大きなテーマであった。 しかし、和歌が恋愛関係にある男女の別離を詠むのに対して、唐詩は友人関係にある男性同士の別離を詠む。漢詩の世界は基本的に知識人男性の交友すなわち「君子の交わり」であった。対して和歌に使われた仮名はもともと女性の文字であり、そこに日本文化の「和・漢」というジェンダーが感じられる。 総じて和歌のまなざしは、漢詩のそれとは逆方向であることを認識せざるをえない。日本文化は漢字文明の上に形成されながらも、中国文化とは逆のベクトルに乗る傾向があるのだ。