「放射する文化」と「受容する文化」――中国との関係で考える日本文化(下)
中国語と日本語
現在、世界各国で使われる文字は、ほとんどが言語の音に記号を当てる「表音文字」で、古代フェニキアのアルファベットをもととするものが多い。これに対して漢字は、現存するほとんど唯一の「表語文字」であり、いわば特殊なものである。もともと占いの告文から始まったとされ、文字そのものに強い「意味の放射力」があるのだ。漢文学者の白川静はこれを「呪能」と呼んだ。つまり漢字自体が「放射する文化」といえる。 僕は中国語を少し勉強してみたが、言語そのものが文字を基本に成り立っていることを感じた。また命令文というものがなく、平叙文を強く言うことによって命令の意思を伝えるのである。さらに「はい=yes」「いいえ=no」もあまり使用せず、「あなたはご飯を食べますか」と聞かれれば、「私は食べる」あるいは「私は食べない」と答える。つまり文字も、また言語も、その意味を強く放射することを目的としているのだ。 これとは逆に日本語は、曖昧な表現が多く、それが文化の柔軟さにつながっている。立場によって表現を変える「敬語・丁寧語」は、他の文化には見られない独特のもので、言語の目的が、意思の伝達よりも「和」を基本とする社会秩序の醸成にあると思わされる。
漢字と仮名――圧倒的受容力
7、8世紀の日本が漢字を使用したとき、その使用法に三つの対応を取った。『日本書紀』は漢文で書いた。『万葉集』は漢字を音の記号として一種の仮名(万葉仮名)で書いた。『古事記』は両方を混ぜて書いた。文字自体が意味をもつ漢字を取り入れることには、音の記号であるアルファベットを取り入れるのとは比較にならない苦悩と工夫があったのだ。歴史を振り返ってみれば、その苦悩と工夫が日本文化の性格を決定的にしているように思える。 漢字は徐々に日本語に浸透していく。前回述べたように、文字だけではなく、日本語そのもののかなりの部分が中国語(漢語)をもととしている。 平安時代、平仮名や片仮名が登場し「和漢混淆文」が成立することによって、日本語の表記が確定した。意味をもった外来の文字を受け入れ、それに変更を加えて音の記号とし、もとの文字と混ぜて使うことによって正式な国語の記述法とするような国は他にないであろう。『古今和歌集』には真名序と仮名序があるが、その内容は中国文化に対する日本文化定立の宣言である。和漢混淆文が社会的に認定されたのもこのころだ。向こう(漢)を「真」とし、こちら(和)を「仮」とする、その謙譲によって新しい「文化」をつくる。この「圧倒的受容力」こそ、この国の文化的特質というべきではないか。 大陸では、文字と宗教様式が入り込む場合、領土的征服を伴うのが通例であるが、この島国は自分から取り入れたのだ。明治期の文明開化も同様で、つまり「受容する文化」なのである。