「放射する文化」と「受容する文化」――中国との関係で考える日本文化(下)
放射力と寛容力
一方、毛沢東の書いた『実践論・矛盾論』(岩波文庫)を読むと、マルクス主義の影響を受けながらも、中国の主体的な思想戦略を構築しようとする強い意志が感じられる。彼は政治家というより思想家であったかもしれない。若い頃に読んだのだが、直輸入された机上の空論を振りまわす日本のマルクス主義者(もちろんすべてではない)とは違うと思わされた。 現在の「一帯一路」という政策は、主として経済的拡大と見られ、軍事的拡大につながることも危惧されているが、文化的拡大と受け取ることもできる。「放射する文化」としては当然の帰結かもしれない。しかしこれは簡単には進まないだろう。世界の、いやアジアだけでも、その文化的多様性は「中国=東洋」というような感覚ではとても通用しないものがある。またそれ以前に、中国国内でもさまざまな問題が噴き出している。 放射力の強い中国文化がではあるが、広く世界に受け入れられるまでには相当の年月を要するだろう。またそれは覇権的なものではなく、現在の文明のメインストリームに対する補完的なものであるべきだろう。それは漢字を基本とする「小さな文化圏」の宿命かもしれない。 中国文化が世界と調和するには、「放射力」とともに強い「寛容力」を併せもつ必要がある。大きな分水嶺だ。その意味で、中国文化と日本文化の関係もまた分水嶺にあるのではないか。