3歳からボールを握っていた…“打撃の職人”巨人・篠塚和典氏の成長秘話 ドラフト1位指名も喜べなかった理由は「巨人の星」!?
作新学院・江川卓氏 衝撃の24奪三振
篠塚氏は中学3年生のとき、銚子商業と作新学院の試合を見学。当時高校2年生だった作新学院の江川卓氏のピッチングに仰天したという。 徳光: そのときの江川さんはどういう印象でしたか。 篠塚: お尻の大きさ、体格も本当に高校生かなっていう感じでね。やっぱりそのピッチング、球の速さに度肝を抜かれましたよ。24三振ですよ。 徳光: 27アウトの中で? 篠塚: ええ、前に3つしか飛ばなかったんです。 徳光: すごいね。 篠塚: その江川さんとは、僕が銚子商業1年のとき、春の関東大会で当たったんですよ。そのときも20三振くらい食らったんです。でも、僕は1本打ったんですよ。そのあと、今度は練習試合で我々が作新学院に行ったんですけど、その時も打ったんです。 徳光: シノさんが1年生、江川さんが3年生のときですよね。 篠塚: そうです。バッターボックスに入ってタイミングを取ったとき、テイクバックして、さぁいこうと思ったら、もうボールがズドーンって入ってきたんです。「このタイミングじゃいけない。泳ぐくらいのバッティングでちょうどいいだろう」と思って打ったら、詰まって、それがショートとセカンド、センターの真ん中にポトッと落ちたんですよ。 徳光: テキサスヒット。 篠塚: それ以来、プロに入っても速いというピッチャーはいましたけど、僕は全く速さを感じなかったですね。 徳光: シノさんの野球史の中ではナンバーワン快速投手は江川さんということですか。 篠塚: 江川さんですね。
夏の甲子園優勝 長嶋氏が注目
昭和49年の夏の甲子園で銚子商業は初優勝。4番サードで出場した篠塚氏はホームラン2本の活躍で優勝に貢献した。この大会から高校野球に金属バットが導入されたが、プロを目標にしていた篠塚氏が使っていたのは木製バット。2本のホームランは木製バットから生み出されたものだった。 徳光: 長嶋さんの頭の中には、2年生のときから篠塚選手の名前があったそうなんですが、その話を聞いたことはありますか。 篠塚: 「中京商(現・中京大中京)戦で、左ピッチャーからレフト前に打ったヒットを見て決めた」って言ってましたね。 徳光: 僕もその話をミスターから聞きました。「こんなにいい左腕のボールを勝負時に打ち返せる。こんな高校2年生がいるんだ」って。2本のホームランじゃないんですよね。
【関連記事】
- 【中編】長嶋監督に暴言浴びせた“地獄の伊東キャンプ”…篠塚和典氏が語るミスターとの師弟関係「ノックで監督に向かってボールを投げた」
- 【後編】バットが届けばストライク!? 巨人・篠塚和典氏“打撃の職人”の神髄 伊藤智仁氏“奪三振記録”の試合で放った伝説のサヨナラアーチ裏話
- ドラフト5位指名も「交渉しません」…ヤクルトのレジェンド・松岡弘氏が明かした入団裏話 高校の1年先輩・星野仙一氏は当時から変な意味で有名人!?
- 親友にして盟友・星野仙一氏との絆…田淵幸一氏が明かした2人だけの関係 ライオンズへの衝撃トレード…そのとき後輩・掛布雅之氏にかけた言葉
- あの国民的女優からまさかのカンニング!? アキレス腱痛から奇跡の復活“不屈の男”中日・谷沢健一氏が長嶋氏・王氏から送られた言葉とは