3歳からボールを握っていた…“打撃の職人”巨人・篠塚和典氏の成長秘話 ドラフト1位指名も喜べなかった理由は「巨人の星」!?
昭和後期のプロ野球に偉大な足跡を残した偉大な選手たちの功績、伝説をアナウンサー界のレジェンド・德光和夫が引き出す『プロ野球レジェン堂』。記憶に残る名勝負や“知られざる裏話”、ライバル関係とON(王氏・長嶋氏)との関係など、昭和時代に「最強のスポーツコンテンツ」だった“あの頃のプロ野球”を、令和の今だからこそレジェンドたちに迫る! 【画像】“打撃の職人”篠塚氏が中学時代から憧れていた選手とは 巧みなバットコントロールで打球を広角に打ち分け2度の首位打者に輝いた巨人の篠塚和典氏。19年の現役生活で放った安打は1696本。芸術的なバッティングと華麗な守備でファンを魅了した“打撃の職人”に德光和夫が切り込んだ。
野球を始めたのは3歳
徳光: シノさんが野球を始めたのはいつごろですか。 篠塚: 多分、3つ。 徳光: えっ。3歳で野球ボールを握ったということですか。 篠塚: はい。本格的にキャッチボールをしだしたのは4歳ですね。 徳光: 最初から左打ちだったんですか。 篠塚: 最初、3歳のころは右で打ってたらしいんですよ。 ところが、4歳くらいのときに、兄貴が友達から「弟を野手にするんだったら左にしたほうがいいよ」って言われて、兄貴が僕を左にしたらしいんです。だから僕は右で振った記憶が全くないんですよ。今も右では振れないです。
憧れは阪神・藤田平氏
篠塚: 小学校の野球クラブに入って6年になったとき、監督から、「シノ、お前、プロ野球選手になれるよ」って言われたんですよ。その一言で僕は小学校6年のときにプロを目指したんです。 徳光: その監督、すごいですね。 篠塚: 中学時代、巨人対阪神を見ていて、ちょうど出てきたのが阪神の藤田平さんなんですよ。僕は、そのバッティングに惚れこんじゃったんです。 徳光: じゃあ、どちらかというと阪神を見てた。 篠塚: そうです。やっぱり左バッターが気になる。左バッターでも王さんとは全然違うじゃないですか。そういうことも意識しながら見てると、藤田平さんが自然な構えから何の余分な動きもなくバットを出して、レフト前にカツーンと打った。それがもう目に焼き付いちゃった。
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