「速いウイルス」と「遅い日本政治」 NZに学ぶ感染症対策に必要な「改革断行力」
目指すべきは「迅速果断な民主主義」
改革断行と緊急対応には同じ力がはたらく。結局はどちらも安全保障なのだ。今のような、人類が核ミサイルという究極の兵器をもった時代には、絶えざる改革の努力こそが真の安全保障ではないかという気もする。ましてや、感染症、異常気象、無差別テロ、サイバー攻撃といった新しいタイプの脅威に対しては、国家の基礎体力がものをいう。業績をあげたスポーツ選手が強調するのも、基礎的な訓練の重要さである。 戦国の世も、そのことを知悉していた武将が天下をとったのだ。膨大な財政赤字や行政の錆びつきと目づまりをそのままにして、赤字国債を乱発してイージス艦や敵基地攻撃能力に走るのは本末転倒かもしれない。まず国の内部を建て直すことだ。それが危機に臨んでの迅速で徹底した対応につながる。基本に戻ることの重要性は、国家も個人もスポーツチームも同様だろう。 逆にいえば、デジタルによる行政大改革など、常在戦場の精神なしでできるものではない。菅政権がこの危機を乗り越えられないとすれば、もともと改革などおぼつかないのだ。総理は雪深い秋田から上京し、はたらきながら大学に通い、空手部に所属していたという。無骨な武人としての力と速度を発揮してほしい。 それにしても、特措法改正における罰則の導入には反対意見がかなりある。政府による私権制限の強化を恐れているようだ。素人ながら、今回限りという臨時の法令ができないのだろうかと考えてしまう。 今、われわれが目指すべきものは「迅速果断な民主主義」ではないか。コロナが教えてくれているように思える。