愛と発信で支える復興と未来。元Juice=Juiceリーダー・宮崎由加が見つめる能登と石川 #知り続ける能登 #災害に備える
──地震発生当初から宮崎さんは「自分にできること」を模索されていたと聞きました。当時はどんなお気持ちでしたか。 地震が起きた直後は、正直とても心苦しい気持ちになりました。「何かしなくちゃ」と思っても、まだ道路がつながっていなかったり馳・石川県知事の「今は来ないで」という発言があったりして、現地に向かうことがかえって混乱を招く可能性もありました。自分にできることは何なのだろう、とすごく悩んだ時期でもあります。私がパーソナリティーを務めるラジオ番組でも、震災直後は情報をどう伝えるべきか迷いもありました。明るく話すことで不快にならないか。もっと具体的な情報を伝えたほうがいいのか。そのバランスに悩みました。しかしあるとき、能登のリスナーの方から「あなたたちが楽しそうにしゃべっている声に元気をもらえた」というメッセージをいただいたんです。その瞬間、私は少しでも日常の癒やしや元気を届けることができているんだと実感しました。状況を見極めつつ石川の現状も折々で伝えていますが、楽しく元気になれる時間を提供しようと心がけています。夏には一度現地に足を運び、住民の方の声に直接触れたことで「もっと力になれることがあるはず」と思いました。そして今回、ようやくボランティアとして伺えたことで、より深く現場のことを知ることができました。
石川から日本武道館のステージへの道
──石川のために何かをしたいという気持ちはいつごろから芽生えたのでしょうか。 Juice=Juiceで東京を拠点に活動しながらも、「石川のいいところをもっと知ってもらいたい」という思いが自然と高まっていったんです。実は「いつかは石川県の観光大使になりたい」という思いを歌にしてもらったこともありました。石川を訪れてみようと考える人が増えるきっかけをつくれるかもしれないと思いましたし、石川のために何かをやりたいと思ったときに、発信力があるとスムーズに動けることもあるかなと思ったので、とにかく自分が活躍することが次につながると考えていました。 ──そもそも、アイドルを目指そうと思ったのは何がきっかけだったのでしょうか。 「モーニング娘。」の道重さゆみさんへの憧れでした。「なんて可愛い人がいるんだ」と心を奪われて。石川ではアイドルのコンサートに行く機会がほとんどなかったこともあり、もっぱらブログを通して彼女の魅力に触れていましたが、道重さんが発信する独特のキャラクター性や、毎日欠かさず更新されるブログから伝わるまじめさに惹かれ、「こんな世界があるんだ」「この人がいる場所を見てみたい」と思ったのがアイドルを目指す最初の一歩でした。 そして高校2年生のときに、初めてハロー!プロジェクトのオーディションを受けました。当初は「受からないだろうな」「だけどせっかくオーディションが開催されているのなら受けてみたい」という軽い気持ちで受けたのですが、2つのオーディションに続けて落ちたことで、強い悔しさが生まれました。「自分は本当にアイドルになりたいんだ」と気づいたのは、そのときです。そこからは当時の自分の強みだと思っていたピアノを必死で練習し、3回目のオーディションに挑む中で、本気でこの道に進もうと覚悟が固まっていきました。