『忠臣蔵』に見る日本文化の「怨念の力学」
江戸城内で吉良上野介に斬りかかる事件を起こし、切腹に処せられた赤穂藩主・浅野内匠頭。吉良の処分がないことに反発した家臣・大石内蔵助以下47人が吉良邸に討ち入ったのが赤穂事件です。この事件を基にした創作作品『忠臣蔵』を12月になると思い出す人も多いのではないでしょうか。 建築家で、文化論に関する多数の著書で知られる名古屋工業大学名誉教授・若山滋氏は、この物語について「日本文化の特殊性が隠されているのではないか」と指摘します。若山氏が独自の「文化力学」的な視点から論じます。
スペインの忠臣蔵
12月は、クリスマスもあり年末でもあるが、『忠臣蔵』の季節でもあり、今年は「その金銭的決算」をテーマにした本や映画が話題となっている。 だいぶ前に、マドリードで開かれた日本とスペインの文化交流会議のメンバーに選ばれたことがある。外務大臣(開催を決めた時点での)が同行する大がかりなものであったが、おそらく主催者である朝日新聞社から『「家」と「やど」―建築からの文化論』という本を出したあとだったから、僕に白羽の矢が立ったのだろう。 日本経済が破竹の勢いを保っていた時期で、会議では、スペインは「情熱的な文化の国」で、日本は「現実的な文化の国」であるといった意見が多かった。そのあとの会食で、在スペイン日本大使から「『忠臣蔵』を紹介すれば、日本にもカルメンやドン・キホーテに似た情熱的な文化があると理解されるのではないか」という相談を受けた。 僕は、即座に「それはいいですね」とは答えられなかった。「ちょっと待てよ…あの話がスペイン、そしてヨーロッパ人にうまく理解されるだろうか…」と考えてしまったのだ。 公的な裁判ともいうべき幕府の沙汰に不満をもって、47人もの屈強なサムライたちが周到な計画のもと、たった一人の老人を襲う、ということが西欧人の眼にどう映るだろうか。ハラキリに始まりハラキリに終わるこの物語には、世界的には理解されにくい日本文化の特殊性が隠されているのではないか。 『源氏物語』や川端康成の作品は、海外の日本文化研究者たちにも高く評価されるが、『忠臣蔵』に対する評価はあまり耳にしない。