『忠臣蔵』に見る日本文化の「怨念の力学」
怨念のプロジェクト
ハラキリに始まりハラキリに終わる赤穂事件が、先の戦争における特攻、玉砕といった戦法にまでつながっていると見ることもできようか。そう考えるとこれは国際社会の理解を得ることが難しいのではないか。 現在の日本は、摩擦の多い国際情勢の中で、自由と民主主義を基本とする西側の一員という位置づけがなされるが、歴史的にも地理的にも、西欧文明諸国とまったく同じ文化に根差すわけではない。日本社会には日本独特の伝統的心情の連続がある。科学技術が発達した近代社会であるとはいえ、なにがしか神秘的な心情が残されている。それはキリスト教やイスラム教のような啓示宗教のそれでもなく、中国的儒教的なそれでもなく、この国の風土と歴史からくる心的傾向であって、多くの神社と仏閣の物語がそれにつながっている。 日々、社会の表面に浮かび上がる現象の底には「怨念の力学」と呼んでもいいような、眼に見えない文化的連続性の力が働いているものと思われる。 あの物語の面白さは、仇討ちという激しい情念の行動が、一時的な感情でなく、周到緻密な準備と計画によっていることだろう。「怨念のプロジェクト」というべきか。 日本の「武の論理」には、精神主義と現実主義が激しく拮抗している。 憲法改正はあるだろうか。