「日本車王国」タイに迫る中国EVの影 カフェ文化も独特、バンコク探訪記
連載《A RIDE FOR FUN》Vol.11
かつて「アジアのデトロイト」と呼ばれたタイ。東南アジアの自動車の生産ハブとしての地位を確立し、2013年には生産台数246万台、世界9位にまで上り詰めました。2023年の生産台数は184万台にとどまりましたが、日本車のシェアが約8割を占める大きな市場であり、日系企業の数多くの駐在員や出張者が首都バンコクでビジネスをしています。今回は中古部品市場から発展したタイの車事情とともに「豊穣(ほうじょう)の国」のカフェ文化なども紹介します。 【写真はこちら】レトロな旧市街にモダンなカフェ…バンコクの魅力をたっぷり オレンジコーヒーもチェック!
タイの自動車産業の歴史は、1960年代に日系自動車メーカーが積極的に進出するよりもだいぶ前、約80年前の中古部品市場の誕生にまで遡ることができます。 第2次世界大戦後、日本軍や連合国軍が使用していた軍用機械のエンジンなどのスクラップ品がバンコク市内のあちこちで放置されていました。それらが所有者のない「無主物」であることに華僑が着目、拾って商売を始めたのが起源とされ、最初は小規模な取引業者が集まっていた中古部品の「小さな市場」でした。
■「ミゼット」が「トゥクトゥク」生む
1960年代になると、タイ国内でタクシーとして使われる自動三輪車「トゥクトゥク」を造るため、ダイハツの三輪車「ミゼット」のアクセルが輸入されたことなどもあり、日本製部品の商取引も活発化しました。日本車のタイでの現地生産が盛んになるとともに国の後押しもあって自動車産業が発展。アジアにおける最大規模の中古部品市場がバンコク周辺に形成されるようになりました。 バンコクの中古部品市場の始まりは、バンコク市内を流れるチャオプラヤー川沿いにあるサムパッタウォン(Samphanthawong)という行政区にあるタラートノイ(Talat Noi)という華僑が集まる旧市街です。タラートノイはタイ語で「小さい市場」。街の歴史は古く、その起源はタイの現王朝であるチャクリー王朝が1782年に誕生して間もない時期です。主に中国・福建省南部や台湾に居住する漢民族の「閩南(びんなん)人」がバンコクに移住し、街が形成されたのです。 タラートノイには150年以上にわたり、街を見守り続ける小さなお寺があります。中国の代表的な8人の聖人「八仙」のひとり、呂洞賓(または孚佑帝君)を祭ったシェンコン寺(仙公宮)です。実はタイでは中古部品市場のことを「シェンコン」と言います。この街が、タイにおける中古部品のディーラー集積地の起源であること、そして、中古部品市場が華僑によって始められたことを表しているのです。