「日本車王国」タイに迫る中国EVの影 カフェ文化も独特、バンコク探訪記
■中国EV拡大、華僑の街にBYD
近年、BYDなど中国自動車メーカーが積極的にEV(電気自動車)を販売し、以前は生産台数ベースで約9割もの高いシェアを誇っていた日本車のタイにおけるシェアを急速に奪っています。その事実は驚きですが、タイの自動車産業の発展に華僑が古くから寄与してきたことを考えると、中国EVのシェアが拡大していることに大きな違和感はありません。タラートノイの街中でも、BYDなどの中国EVを見かけることが多くなりました。 細かな路地が続き、軒先に廃棄車両やオイルまみれの中古部品を並べる老舗部品商や古い建物が今でも点在するようなレトロな雰囲気が漂うタラートノイは、昨今、流行に敏感なバンコクの若者たちが集う人気スポットとして変貌しました。 華僑コミュニティーが住まう建物は今でも昔のままで残る一方で、壁にはクールなグラフィティアートがたくさん描かれ、もともと自動車修理工場や部品商店だった建物をリノベーションしたモダンなカフェも数多く営業しています。 バンコク中心部の喧騒(けんそう)から隔絶されたこのレトロな旧市街で、特に人々を魅了しているのは、新進気鋭のバリスタがそろうカフェで、それぞれのお店のオリジナル商品を飲みながら、ゆったりと会話を楽しめる空間が多く存在することです。
■タイのカフェ文化、自動車と同じ1960年代に発展
ここで独特な発展を遂げてきたタイのコーヒー文化について。この国で本格的にコーヒーが栽培されるようになったのは、ラーマ3世の時代(在位1824~1851年)。ヨーロッパと貿易する中で、王宮にコーヒーを植えようと苗木が数多くタイに持ち込まれたようです。 その後、1960年代に入り、ラーマ9世(プミポン前国王)はタイ北部山岳地域で深刻な健康被害をもたらしていたケシの栽培と焼き畑農業による環境破壊を撲滅することを目的として、ケシの代替としてのコーヒーの栽培を奨励する王室プロジェクトを始めました。 この王室プロジェクトが、タイ北部の森林保護や山岳民族の経済的自立支援を促し、標高が高く涼しい地域で育つアラビカ種のコーヒー生産を増やし、タイの独特なコーヒー文化の発展、国民の間に浸透する背景となったのです。 自動車産業と時を同じくして1960年代から、タイでカフェ文化が発展したというのは面白い偶然の一致ですね。