田中亮明ボクシング五輪フライ級61年ぶり銅メダル獲得の裏に元3階級制覇王者の弟からの千切れた3枚のメモ
この1年、元3階級制覇王者の弟が所属する畑中ジムへ通い、弟と共にボクシングトレーナーである父の斉さんの指導を受けた。幼い頃、空手からボクシングという同じ道を歩み、中京高校時代には国体で3年の兄と1年の弟で兄弟優勝をしたこともある。これまで兄弟仲が悪かったわけではないが、弟はプロへ、兄は駒大へ進み五輪を目指すようになり「ボクシングの会話をすることも接する機会もあまりなかった」という。 だが、東京五輪の1年延期が決まったとき、兄の方から弟にコンタクトを取り「世界チャンピオンから見てオレのボクシングをどう思う?」と尋ねた。 「五輪に出場する目標を達成できたから今度はメダルを取りたいと思った。そのためにどうすればいいかを色々と考えたが、日本での五輪だから判定でも、がんがん攻めるスタイルが有利。スタイルを変えないといけないと考えたとき、弟のがんがんいくスタイルがすぐに浮かんだ」というのが理由だった。 すると数日後に3枚のメモをもらった。思いついたときに書いたのだろう。チラシの余白や、何かの用紙を違って破ったような汚いメモだった。だが、そこに弟らしい愛情表現が詰まっていた。 昨年3月に戦った五輪のアジア・オセアニア予選の映像を見て気づいたポイントが書いてあった。「すべでダメ出し」(田中)だった。 「ガンガンいくボクシングをするためにはスタミナ、体力がなさすぎる」 「大振りになる右フックは使わない方がいい」 「ジャブなどに対するリターンのパンチは力強さではなくスピードを意識しろ」 捨ててもいいような紙だが、携帯のメモに移し直し、今でも大事に保管してあるという。 新型コロナ禍で、昨年の4月から3か月間、教師として教壇に立っている中京高が休みになったことも手伝い、畑中ジムへ通い、弟と一緒に練習するようになった。 「弟を教えた父に教えてもらえれば、そのスタイルが身につく」と、指導を受けたが、最初は、弟の練習メニューを最後まで消化することができなかったという。 足りないフィジカルとスタミナ面を強化するため弟に同じフィジカルコーチも紹介してもらい「KBSトレーニングジム」に週に一度通った。やがて体力がつき、最終的には同じ激しいメニューについていけるようになり「力強いパンチが打てるようになり、体力を気にせず戦えるようになった」。 父からは「おまえのしたいことはなんなんや?」と問われた。 「派手にぶっ倒したい」 そう答えると父は「それをやるなら1ラウンドからいかなくちゃいけない」と返した。