経済日本を滅ぼそうとしているのは経済エリート? 今の日本に必要な「時代精神」について考える
2013年5月に改正公職選挙法が施行され、インターネットによる選挙運動が解禁されてから10年以上が経過しました。今年11月の兵庫県知事選挙では、SNSで飛び交う虚実入り混じった情報が、有権者の行動を大きく左右したと考えられています。 建築家で、文化論に関する多数の著書で知られる名古屋工業大学名誉教授・若山滋氏は「SNSがあろうがなかろうが、政治的混迷の時代には民衆の熱狂が生じるもの」と指摘する一方で、「今の日本には『時代精神』が欠如している」と考えます。若山氏が独自の視点で語るニュースエッセイの連載の最終回です。
時代精神の欠如
韓国は大変な情勢で、アメリカもフランスもドイツも、政治の混迷がつづいている。日本では兵庫県知事選挙で斎藤元彦氏が返り咲いて、テレビや新聞など既存のマスメディアはSNSという新しいツールが生む政治的熱狂を伝え、それを規制することが話題になっている。 しかしどうだろうか。SNSがあろうがなかろうが、混迷の時代には民衆の熱狂が生じるものではないか。大学紛争の時代も、日米安保闘争の時代も、労働争議頻発の時代も政治的熱狂が生じ、マスメディアはそれをあおった面がある。 とはいえこれまでは、その時代の政治思想が衝突するかたちで民衆と権力が対立したのだ。いわば「時代精神」の衝突であったが、SNSに動かされる今の民衆は、個人的不満を原動力として一時的に群れただけのように思える。今の日本には「時代精神」が欠如しているのではないか。それは西側諸国に共通することかもしれない。 明治時代の日本には「文明開化」という時代精神があった。戦後日本には「復興成長」という時代精神があった。とにかく「飯を食う」という、他の選択肢のなさもひとつの時代精神であったのだ。 前に、今の日本に必要なのは「中興」ではないかと書いた。中興が「成熟期あるいは衰退期を再び成長期に転じさせること」だとすれば、ここではそのために必要な「時代精神」について考えてみたい。