「渋谷に来ないで」区長訴え それでも文化論者が「渋谷ハロウィーン」を大目に見たいワケ ノーテンキなコスプレに隠された文明批判
無意識の行為にひそむ文化の必然
マンガやアニメやゲームには闘争を主題とするものが多い。 人間は、特に若者は戦いが好きなのだ。どんなに平和主義をとなえてもこれは抵抗できない事実である。しかしその戦いのしかたは中世らしく、徒手空拳か、あるいは剣や弓などが多く、火器はあまり登場しない。そこに、近代兵器としての機関銃、大砲、ミサイル、核兵器などへの嫌悪感が現れている。戦う人間は好きだが近現代の戦争は嫌いなのだ。またリアルの空間における魔女やオバケや骸骨などの仮装には時代遅れともいうべき滑稽感があって、メタバースなど、今喧伝されるハイテク仮想空間に対する反発もあるように思える。 そう考えれば、一見ノーテンキに見えるコスプレにも、鋭い文明批判が隠されているというべきかもしれない。もちろん当人たちにそんな意識はない。無意識の行為のうちに文化の必然がひそんでいるものだ。 今、渋谷が「世界的なお祭り」の中心になっている。大事故に至ることは避けるべきであり、周辺への迷惑も理解できるが、文化論者として、ある程度のことは大目に見たい。