「渋谷に来ないで」区長訴え それでも文化論者が「渋谷ハロウィーン」を大目に見たいワケ ノーテンキなコスプレに隠された文明批判
日本の近代化が急速に進んだ理由とは?
しかしながらハロウィーンは、キリスト教にではなく、北ヨーロッパの先住民ケルト民族のドルイド教、特にアイルランドの万聖節(ドルイド信仰では冬の始まりである11月1日を1年の始まりとするという)にもとづく。つまり魔女やオバケや骸骨など、「異世界=死後の世界」の仮装は、古代ギリシャ・ローマから西ヨーロッパへとつながる主知主義的な都市文明(ギリシャ文化とキリスト教文化を基本とする)に対峙する、神秘主義的な森の文化を意味しているのである。端的にいえば「科学」に対する「魔法」である。 僕は、ヨーロッパには文化分業ともいうべきものがあって、イタリア・ルネサンスを総合的な始まりとし、美術はフランス、音楽(クラシック)はドイツ語圏、文学はロシアで発達したと考えているが、イギリスを含む北部ヨーロッパには、ケルト文化が残存し、特にその物語性が独特の深みを与えているのだ。 この北部ヨーロッパに根を張るケルト文化は、森林の風土という点でも、都市文明に圧迫されてきたという点でも、主知主義に対する神秘主義という点でも、日本など北東アジアにつうじるものがある。「欧米の中の反欧米」とでもいおうか。またたとえば、僕も含めて日本の建築家は、フィンランドの建築家アルヴァ・アアルトに、地中海文化を背景とする合理主義的作風のル・コルビュジエに対するのとは異なる親近感を覚える。そういった風土的な文化背景も、ハロウィーンが北東アジアに受け入れられる理由であろう。 文化には、単に「伝播」という言葉では尽くせない「共振」ともいうべき共通化現象がある。アイルランドからアメリカに、アメリカから東アジアにと浸透してきたハロウィーンの文化を、ナショナリズムによって排斥する必要はない。文化共振力は国家の鎖も壁も超えていくものだ。歴史とともにヨーロッパの北方に追い詰められてきたケルト文化が世界的なお祭りになっているのは悪いことではない。 日本の近代化が急速に進んだ理由のひとつは、ファンタジーも含めて欧米起源の文化を素直に受容したことである。それが日本のマンガやアニメやゲームが海外に広がることにもつながっている。しかも一方で、生活に必要な伝統を残してきたので、文化的混沌をもたらしたのではあるが、今は、海外の観光客が日本の伝統文化に興味をもつようになっている。そういった文化の柔軟性が、結局は民主主義 vs 権威主義というような政治的対立を乗り越える力ともなる。