「渋谷に来ないで」区長訴え それでも文化論者が「渋谷ハロウィーン」を大目に見たいワケ ノーテンキなコスプレに隠された文明批判
東アジアに浸透するヨーロッパの文化
僕らの世代が子供のころ親しんだ遊園地・豊島園の跡地は、ハリー・ポッターをテーマとする施設となったが、現代日本のファンタジーのひとつの源泉はJ・R・R・トールキン(イギリス)の『指輪物語』あたりで、もっとさかのぼってグリムやアンデルセンを含め「北部ヨーロッパの中世」のスタイルが支配的である。 ディズニーのマンガやアニメでは、人種問題を抱えるアメリカらしく「擬人化した動物」が主人公になる。だからこそ世界に受け入れられる普遍性を獲得したのであろう。それでも人間の話になると、白雪姫やシンデレラなど北部ヨーロッパの中世が基本になっている。 それにしても日本はなぜ、ファンタジーが自国の江戸時代以前のスタイルにならないのだろうか。時とともに、日本文化の中から時代劇の割合は少しずつ減少し、今のファンタジーは、いわゆる「西側」に合わせて国際化されているようだ。 韓国や東南アジアは日本と似ているが、中国のファンタジーはやはり中国風になる。とはいえ中国人はディズニーランドにも、ハリー・ポッターにも、クリスマスにも、ハロウィーンにも抵抗なく、大いに楽しんでいるようだ。思想的、政治的にはともかく、東アジア(北東アジアと東南アジアを含む意味で使う)にはヨーロッパの文化が深く浸透していると考えざるをえない。 16世紀以来の西欧の勢力拡大は、その文化様式の拡大でもあった。西欧以外の国の文化は、自らの過去と決別することによって近代化を達成したのだが、ヨーロッパの文化は過去と現在が連続的なのだ。そこに、ヨーロッパ中世の文化が、近現代文明の反力としての吸引力をもつ理由があるのではないか。近代化とともに捨てられるべき過去ではなく、時によって立ち戻るべき過去としての吸引力である。 しかし西アジアは東アジアのようにはいかない。イスラム教の国でも、マレーシアやインドネシアなど東南アジアの国では、クリスマスやハロウィーンを祝うことはあるようだが、西アジアの国々がクリスマスやハロウィーンを祝ったり、そのファンタジーの源泉 が北部ヨーロッパの中世にあるという話は聞かない。これは歴史的に、東アジアの文化文明が、ヨーロッパ文明と離れたものであったのに対して、西アジアの文化文明が、常にヨーロッパと接しどちらかといえば対立関係にあったからであろう。今も、欧米の支援を受けるイスラエルとイスラム諸国の支援を受けるハマスの対立が激化している。 東アジアでは、思想的政治的な反発から紆余曲折はあったにしても、結局は洋服を着て、靴を履いて、椅子式の生活に移っている。しかし西アジアでは、国際的な公式の場においても、トーブやヒジャブと呼ばれるイスラムの服装にこだわっている。同じアジアでも、西と東では、ヨーロッパに対する文化的スタンスが大きく異なる。 このように、ファンタジーの様式にも地政的な要因が反映しているが、それは政治的なものとは少しズレる「文化の地政学」というべきものだ。