2024年11月16日は藤原道長の詠んだ『望月の歌』とほぼ同じ月
「藤原道長」が詠んだと伝わる「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも 無しと思へば」という著名な和歌、通称『望月の歌』は、寛仁2年10月16日(ユリウス暦1018年11月26日)に詠まれたとされています。歌の解釈は様々ですが、天文学的に言えば、道長が見たのは満月(望月)から少し欠けた月であったことは間違いありません。 満月・新月カレンダー 2024 旧暦10月16日に当たる(グレゴリオ暦)2024年11月16日、道長が見上げたであろう月とほぼ同じ形の月が夜空に昇ります。平塚市博物館は、「#道長と同じ月を見上げよう」と題するキャンペーンで、道長が見たであろうものとほぼ同じ月を観察し、SNSなどで共有することを呼び掛けています。奇しくも、翌日の11月17日に放送されるNHKの大河ドラマ『光る君へ』にて、この望月の歌が詠みあげられるとのことです。
1000年以上前に詠まれた『望月の歌』
平安時代の公卿「藤原道長」(966-1028)は、三女・藤原威子が後一条天皇の中宮(皇后/正妻)として立后された日に行われた祝宴の日である寛仁2年10月16日に、次のような歌を詠んだと伝えられています。 此世乎は 我世と所思 望月乃 虧たる事も 無と思ヘハ (この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも 無しと思へば) 通称『望月の歌』とも称されるこの和歌が詠まれた時、藤原道長は摂政と太政大臣を辞任して太閤となっており、表向きには引退状態でした。しかし太皇太后・皇太后・中宮の三后全てが道長の娘である(※1)という状況から、摂関政治の絶頂期にあったとされています。この歌の内容を記した藤原実資の日記『小右記』には、この一家三后の状況を「空前絶後」と書き残しています(※2)。 ※1…太皇太后(先々代の天皇の皇后)は長女・彰子、皇太后(先代の天皇の皇后)は次女・妍子。 ※2…道長自身が記した日記『御堂関白記』には、歌を詠んだ旨については書かれているものの、その内容は書かれていません。 望月の歌は、満月(望月)は少しも欠けがないことから、この世は自分のものであると、栄華を誇った道長の驕りの象徴であるとする解釈が有名です。しかし、道長が若いころに苦労したことを振り返り、驕りというよりも感嘆に近い感情を詠んだものであるとする解釈もあります。他にも、満月から少しだけ欠け始めた月であることから、栄華は儚いものであると自覚していたことを詠んでいるとする解釈や、あるいは単に酔った勢いで詠んだだけに過ぎないとする説もあります。 道長の真意はさておき、望月の歌が詠まれた日の月は、満月の瞬間を少しだけ過ぎており、わずかに欠け始めていることは間違いありません。文学的には無粋かもしれませんが、下の句の「欠けたることも 無しと思へば」は、科学的には「わずかな欠けが無いものと見なせば、昇っている月は満月である」と解釈することができます。