危険な空気が渦巻く韓国、パキスタンでアントニオ猪木は...? 伝説の海外遠征に同行した永源遙が目撃した光景
アントニオ猪木は現役時代に数々の海外遠征を行ない、予期せぬ事態に遭遇することもあった。特に1976年12月のパキスタン遠征は現地の英雄であるアクラム・ペールワンに急遽「リアルファイト」を挑まれ、相手の腕を折って返り討ちにしたことで知られている。当時、新日本プロレスの中堅選手として猪木に同行した永源遙(※2016年11月28日に逝去)が至近距離で目にした光景とは? 【写真】ジーコに日本での活動をオファーした? アントニオ猪木の「闘魂ブラジル外交」 ※本稿は、『Gスピリッツ選集 第一巻 昭和・新日本篇』(辰巳出版)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
反日感情の渦巻く韓国での喧嘩マッチに同行
――1976年10月9日、韓国の大邱で猪木さんがパク・ソンナン(朴松男)の目に指を突っ込んだとされる伝説の喧嘩マッチに永源さんは同行されていますね。 テレビ中継をストップして、遅れて試合をした時の? ――それは翌日にソウルの奨忠体育館で行われた同じカードによるNWFヘビー級王座の防衛戦です。この一戦は日本でも放送されましたが、同じく遠征に同行した坂口征二さんは「現地では生中継なのに、2人が控室から出てこないから試合が遅れた」と言っていました。 それも俺は行ってますよ。前日のひどい試合の時もセコンドに入っていましたね。向こうが「猪木を倒したら人気が出る!」という感じで来たから、猪木さんはやっちゃったんでしょう。そういうことがあっても乗り越えちゃうんだから、猪木さんは凄いですよ。お客さんには何があったのかはわからないだろうけど、異様な雰囲気は伝わったと思いますよ。やっぱりアマチュア(サブミッションレスリングの意味)で入っていったら猪木さんは強いからね。 ――永源さんは、猪木さんとスパーリングしたことは? もちろん、ありますよ。強い。すぐに腕を極められたり、足を極められたり。東京プロレスに入ってすぐに俺はまあまあ身体もあったし、ちょうどいい相手だってことでガンガンやられて。猪木さんは若い頃からいろいろな技を知っていたけど、特に腕を極めるのが巧かった。で、関節が柔らかいし、身体自体が柔らかい。だから長年、ガイジン選手や異種格闘技の選手に攻撃されても、やっていられたんですよ。あれで身体が硬かったら無理ですよ。 ――話を戻すと、当時の韓国は反日感情が強かったでしょうから、猪木さんがパク・ソンナンをやってしまった後は大変だったのでは? そういう時に猪木さんを守るのが俺の役目だからね。やっぱり一番守ったのがパキスタンですよ。あれは終わったらイチ、ニ、サンで控室に戻って、すぐにホテルへ逃げましたからね。で、そのホテルから出られなかったから。