危険な空気が渦巻く韓国、パキスタンでアントニオ猪木は...? 伝説の海外遠征に同行した永源遙が目撃した光景
伝説のパキスタン遠征 本当に7万人もの観衆が詰めかけたのか?
――その有名な76年12月のパキスタン遠征で、永源さんが同行メンバーに選ばれた理由は何だったんですか? 猪木さんと新間(寿=当時の新日本プロレス営業本部長)さんが選んだと思うんですよ。あとは藤原(喜明)と小沢(正志=キラー・カーン)がいたけど、3人ともそれなりに身体が大きくて年齢も同じぐらいだし、頑丈な人間が選ばれたのかもねえ。VIP待遇でしたよ。 行く時はパキスタン航空で猪木さん、奥さんの倍賞美津子さん、新間さんはファーストクラスでね。俺たちは後ろの方に乗ったんだけど、ビックリしたのはファーストクラスの方には寿司が入った大きな桶が3~4個用意してあって、「食べてください」って。だから、それを食うために俺たちもずっとファーストクラスにいましたよ(笑)。 あとは機長室で副機長のイスに座らせてもらったりね。あれは快適な旅でした(笑)。カラチ空港に着いた時には、深夜にもかかわらず3000~4000人が見に来ていましたからね。モハメド・アリ戦の後だったから猪木さんは向こうでも有名人でしたし。 ――そして、決戦場のカラチ・ナショナル・スタジアムには7万人の大観衆が詰めかけたと言われています。 ホントに凄かった。警察官も2000人以上いたと聞いたから。リングから見渡すと、何キロも先の山の上に人がいっぱいいて、試合を観戦してるの。でも、見えるわけないでしょ、そんなもん(笑)。リングサイドの一番前の席は、金のある人しか座れないですよ。確か料金は100ドルとか言ってたから。
アントニオ猪木意外に唯一試合をした永源遥が振り返る「危険な対戦相手」
――その大観衆の中で、猪木さん以外に試合をしたのは永源さんだけなんですよね。ボル・ブラザーズの六男で末弟のゴガ・ペールワンと対戦されましたが、彼はどんなレスラーだったんですか? 俺より一回りぐらい大きかったねえ。力も強い。だけど、技は何もなくて、組んだらもうボディスラムで投げたりとか。それしかできない。ホントに技なんか何もないよ。それで俺が悪いことをして、向こうが一発殴ったら、7万人が「ウワーッ!」って。「何でこんなに騒ぐのかな?」と思ったけどね(笑)。向こうの選手への声援は凄かったですよ。俺が「待て、待て」とロープに逃げたら、7万人が沸くんですよ。日本人の弱い奴が逃げたと思って(笑)。 ――ということは、永源さんはヒールなんですね。 そうそう。首を絞めたり、アメリカでやっていたのと同じようなことをやりましたよ。相手はどんな技をやるのかもわからないし、寝技、立ち技…何にもないし。しかも組んだら、もうガッチガチに力が100%入ってるしね。こっちが投げようと思っても、引っ繰り返ることはあるけど、踏ん張っちゃうんですよ。 ――そういう訳のわからない選手と試合をする場合、不用意に相手の技を受けて様子を見ることもできないですよね。 危なくて下手に受けられない。怪我したら、どうしようもないからね。でも、力が強かった。俺が踏ん張っても上げちゃうんですよ。だから、何とか受け身を取って。結局、ボディスラムを何発か食って負けちゃいましたよ。リングの状態も悪いし。土の上にマットを敷くんですから。ロープも緩いしね。