「40歳を過ぎたら、舞台に立たないと思っていた」――奇跡の女形、坂東玉三郎が歩む芸道一筋の70年
そう言いながらも、活躍は歌舞伎にとどまらない。20代からシェイクスピアの舞台などに出演し、36歳で『ロミオとジュリエット』の演出を手掛けた。ヨーヨー・マらの演奏で創作舞踊を上演し、モーリス・ベジャールの公演ではバレエとコラボレーション。『外科室』などの映画も監督したほか、中国の伝統芸能である昆劇への出演や、太鼓芸能集団・鼓童の演出にも取り組んだ。昨年はNHK大河ドラマ『麒麟がくる』で正親町(おおぎまち)天皇を演じ、初めてテレビドラマに出演している。 「40歳を過ぎたら、舞台に立たないでいるだろうと思っていました。演出も制作もしたいし、照明や美術もやりたいんですけど、そちらのお仕事が来ないんです。ぜひ、お仕事があったらいただきたい。こだわりも強いし、お金がかかると思われているかもしれませんが……」
「もう限界ですね、ほとんど」
2012年、重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定され、後進の指導に尽力している。伸びる人の持つ資質は「素直さ、謙虚さ、情熱」で、才能や個性は自覚できないと語る。 「才能があるかないかは、自分も他人もあまり理解できないものだと思います。あると断言しても結局なかったり、ないと思って見ていたのに開花したり。思わぬところで出会って、出会えるだろうと思うところで出会えないものなんです。工芸作家や職人の方が、手の届かない崇高な感覚を持っていたりしますが、そういう方は自覚がない。その人たちの思いを大切にすることが、自分の仕事上、人生上の幸せです」 自身の才能については、どう捉えているのだろうか。 「(才能を感じたことは)全くないですね。こだわりがあって、そのこだわりに向かってやってきただけです。実は努力もあんまりしたくなくて、せざるを得ないものだと思っています」
4月には、歌舞伎座で片岡仁左衛門とともに「桜姫東文章」に出演した。チケットは早くに完売。70代の今も観客の熱い期待に応えている。歌舞伎の興行は通常25日間、役によっては40キロ近くある重い衣装を身に付け、凛としたたたずまいで舞台に立つ。 「(肉体的には)もう限界ですね、ほとんど。お客さまに見せるために、みっともなくない形で舞台に出なきゃいけない。引き時はいつも考えています。老いは人間誰しもやってくることだし、諦めの中で受け止めるしかないかなと思っているんです。実の母は、僕を見抜いていたんでしょうね。40代半ばになった時、『伸一はもう年齢を諦めたね』と言っていました。年をとることに逆らわない」 生まれ変わったらもう一度、坂東玉三郎に生まれたいかと問いかけると、「何にも生まれ変わりたくない」と潔い。「奇跡の女形」と称される、芸道一筋の人生。「あっという間だった」と軽やかに、玉三郎は言う。